もう1度ちゃんと歌いたい

 後遺症に悩む西城さんを、亡くなる直前までサポートしていた東京・台東区にあるリハビリジム『フリーウォーキングメディカル』総院長の大明龍八氏は、

「家族全員でリハビリに臨んでいた感じですね」

 と、西城さんが通った3年間を振り返る。

『フリーウォーキングメディカル』でリハビリ中の姿。「痛い!」「もう嫌だ!」と叫ぶときもあったという(大明龍八総院長提供)
『フリーウォーキングメディカル』でリハビリ中の姿。「痛い!」「もう嫌だ!」と叫ぶときもあったという(大明龍八総院長提供)
【写真】西城秀樹さんのデビュー当時、リハビリ中の姿

「奥さんとお子さんもよく一緒に来ていました。家族がいるときはすごく頑張ってくれたので、私も治療があるときは一緒に来てくださいって言ってたんです。

 おひとりで来られたときは、“自分ひとりでトイレに行きたい”“自分ひとりで風呂場に行きたい”、そして“もう1度ちゃんと歌いたい”と話していました。歌いたいという気持ちはすごく強かったと思います。

 お子さんの話をよくされていたんですが、“子どものために歌を歌いたい”と。リハビリ中に歌ったことはなかったですね(笑)。われわれが歌うことはあったけど、そんなときには“僕が歌おうか”なんて言ってくれたり」

 一家が団結して臨んだのはリハビリだけではない。亡くなる寸前も周りには妻と子どもたちが寄り添っていた。

「秀樹さんは、亡くなる直前の4月に自宅で倒れてから入院することになったのですが、それから意識が戻ることはなかったそうです。

 しかし、奥さんはもちろん、お子さんたちも、学校が終わると病室に駆けつけ、いつもと同じように話しかけ、お父さんのヒット曲のメドレーを流してあげていたそうです」(前出・芸能プロ関係者)

 多くの人をカンゲキさせた名歌手は、最期まで歌に囲まれていた。

デビュー間もないころの西城さん。長髪がトレードマークだった
デビュー間もないころの西城さん。長髪がトレードマークだった