子供に媚びない、でも頼ればいい
かつて「老後は子供に面倒を見てもらう」のが当たり前だった日本で、「老後は子供の世話にはなりたくない」と考える人が増え続けているという。81歳の桐島さんが考える「老後のあり方」とは。
「何年か前にある雑誌で『老後は子供の世話になりたいですか』と質問されてね。居並ぶ人々が皆ノーと答える中、私一人がイエスだったの。
『たとえ周りがすべてイエスでも、桐島洋子だけはノーだろう』と思われていたらしくて(苦笑)、すごく驚かれました。逆に私は、周りがすべてノーだったことに驚いたのだけど。
子供の世話にならず、では誰に頼るかというと、皆さん国家とか公的支援に期待しているらしい。確かにこれまでさんざん税金を払ってきたのだから、その権利はあるでしょう。でも権利というものはできるだけ主張せずに済ませる方が、エレガントな生き方だと思うの。だから私はできる限り自助努力し、どうしても助けを求めるなら、まずは家族からと考えています。
産んで育てて教育を受けさせて、一人前の大人にしてやったのだから……と言ったら恩着せがましいけど、お国や人様の世話になるよりは、自分が世話した子供たちに頼る方が当たり前でしょ。だから堂々とね。大きな、デッカイ面して“頼りにしてるわよ”と言えばいいんです」
乱暴な生き方をしてたどり着いた80代
50歳になる年には「人生の収穫期・林住(りんじゅう)期」を宣言してカナダのヴァンクーバーで晴耕雨読の日々を過ごし、81歳の今は東京と湘南を行ったり来たり。でも80代に続く道は平坦ではなかった。
「インドのヒンズー教には、人生を四季の巡りと捉え、それぞれの季節にふさわしい生き方をする考えがあります。
春は勉学に励む学生(がくしょう)期、これは子供から青年時代ですね。次は懸命に働き家庭を築く家住(かじゅう)期、これが人生の夏。
秋は一線を退き、ゆとりを楽しむ林住期。50歳でヴァンクーバーに家を買った私は、この家を林住庵と名付け、まさしく人生の秋・収穫の季節を味わい尽くしました」
そして最後は安らかな死に備える遊行(ゆぎょう)期。
インドでは俗世を捨て、巡礼に出る人もいるという。
「81歳という自分の年齢を考えると、“よくここまで来られたなあ”と感慨深いものがあります。両親は70代で鬼籍に入ったし、桐島家の女で80代まで来たのは、私が初めてですから。
臨月のお腹を抱えて世界旅行したり、ヴェトナム戦争の従軍記者になって銃弾の雨をかいくぐったり。かなり乱暴な生き方をしてきたわりには、よく無事にこの年まで健康で来られたものです。私は本当に運がいいんです」