母と離れ、小学2年生で寮生活
小学校に上がると、伊東から沼津の特別支援学校まで片道1時間以上の道のりを通うことになる。二三子さんは電車で毎日送り迎えした。
だが、昌美さんが2年生になるころ、夫と離婚。6歳年上の長女は夫が預かり、昌美さんは学校付属の寮に入ることになった。まだ小さな娘を預けることは、母親にとって苦渋の決断だった。
「なんというか寂しいし、ご飯は食べているか、自分のことをちゃんとできているかと不安でしたね。でも、仕事と家事をしながら毎朝毎夕、送り迎えするのは肉体的にも時間的にも厳しかったんです」
親が寂しいのだから、子どもはもっと寂しい。
「学校が終わると毎日、玄関で母が迎えに来ると信じて待っていました。毎晩、しくしく泣いて」(昌美さん)
週末は実家で過ごしたが、それだけでは家族の時間が少なかったのだろう。
ある日、二三子さんと元夫、昌美さんで食事をして、いざ沼津の寮に送ろうとすると昌美さんは「宿舎に帰らないとだめ?」と甘えた。
厳しく接してきた二三子さんも、このときばかりは心が揺らいだ。「先生に嘘つくから、風邪ひいたことにするんだよ。約束が守れなかったら、2度と休ませないよ」そう言って娘を自宅へ連れ帰ったという。
二三子さんにとっても昌美さんとの時間は貴重だ。娘が自宅にいる日は、仕事に出るのが寂しいときもある。すると昌美さんは二三子さんの働くバーに「ママがゲボしちゃって」「まあちゃん、お熱出ちゃった」などと電話をする。店のママも、親子の嘘はお見通しだ。だが、昌美さんは店にもよく遊びに来るし、客にも可愛がられていた。二三子さんの仕事ぶりには定評があったし、周囲も彼らの事情はよくわかっている。みんな快く騙されたふりをしてくれた。