Vol.4 ダンディ坂野
テレビであまり見かけなくなったと巷(ちまた)ではささやかれるが、そんな心配はご無用! 黄色い衣装に身を包み「ゲッツ!」でおなじみの、ダンディ坂野さん。
現在はCM10本、営業が年間約60本、地方の番組やイベントを通して今なお活躍し続けている。「ゲッツ!」というわかりやすくキャッチーなフレーズ一本で活躍し続ける芸人さんもなかなかいないのでは。
平成を代表する国民的ギャグ職人と言えると編集部が勝手に判断し、『平成』という時代、そして、これからの時代について語ってもらった。
そもそもお笑い芸人を目指すきっかけはなんだったのだろうか。
「実は、もともとはアイドルに憧れていたんですよ。特にトシちゃん(田原俊彦さん)に憧れていて、歌って踊れるアイドルになりたかったんです。だから、地元の石川県に住んでいたころは、オーディション雑誌を買いに隣町までわざわざ行ってましたよ。それくらいアイドルに憧れていました」
お笑い芸人としてではなく、アイドル志望だったダンディさん。時代を先取るお笑い芸人をテレビで目の当たりにし、お笑いの世界に飛び込む決意をする。
「高校を卒業してしばらくは地元の石川県にいたんですが、26歳で上京しました。当時、テレビでウッチャンナンチャンさんやとんねるずさんがアイドルと共演しているのを見て、なんかお笑い芸人ってカッコいいなと思ったんですよ」
それからほどなくして、芸人としての道を切り開くため、お笑い養成所に通うこととなる。
「当時はヒロミさん率いるB21スペシャルさんが、人力舎のお笑い養成所(スクールJCA)の広告に出ていたんです。それがカッコよくてJCAに入ることに決めたんです」
“業界としては年齢的に遅いほうだ”とダンディさんはいうが、人力舎のお笑い養成所(スクールJCA)の2期生としてオーディションを受けることになる。
選考の内容について話を聞いてみると。
「正直言って、大きな声でハキハキしてしゃべれるか。それと授業料が払えるかということが合格の基準だったらしいです(笑)」
こうして養成所に入ったのち、コンビを組んで活動するが成績は芳しくなく、卒業後、事務所に所属するにはいたらなかった。それを機に、解散を決意。今後のことを悩んでいたときに、ある方に声をかけてもらう。
当時、お笑い養成所で講師をしていたブッチャーブラザーズ(サンミュージックプロダクション所属)さんだ。
「これからのことを悩んでいたときにブッチャーブラザーズさんに相談したら、“じゃあ、付き人になるか”と声をかけてもらったんです」
その後、付き人として下積み時代を経たのちに、サンミュージックプロダクションに所属することになる。やがてサンミュージックにお笑い部門が誕生し、そのタレント第1号としてテレビでも露出していくようになる。