晩年の尾崎のマネージャーを務めていたのは、尾崎豊の実兄と幼馴染だった大楽光太郎氏だった。平成4年2月から亡くなる4月末までの約3か月という短い間だったが、芸能界とは無縁だった男がなぜマネジメントを始めたのか。
マネージャーの暴露本
「当時の尾崎は覚せい剤で逮捕されたのちに、プライベートな問題を抱え、繁美夫人とは不仲でした。離婚を考えていたのですが、夫人が希望する慰謝料と折り合いがつかず、簡単に離婚へと踏み込めないでいたんです。
そんな事情から事務所のスタッフに対しても、背後に繁美夫人がいることを気にしてか、もっとも信頼できる兄の友人だった大楽氏にマネージャーを頼んだ。結果的に、最後のマネージャーとなった大楽氏は、のちに『誰が尾崎豊を殺したか』という衝撃的な書籍を出版。尾崎の死にまつわる闇について、メディアで発言を何度となく口にするようになっていきました」(芸能事務所関係者)
繁美夫人に対するDV報道、女優との不倫旅行、夫人から求められた3億円の慰謝料請求、そして個人事務所『アイソトープ』の乗っ取り、死は事故ではなく事件だと、一連の騒動を大楽氏は暴露本として出版し、物議を醸す。
尾崎の死後、彼の曲は飛ぶように売れ、その存在はカリスマとなり莫大な利益を生む。それと並行して、大楽氏や兄は事務所を追われることになるのだ。
のちに大楽氏は、不当解雇されたと繁美夫人を民事訴訟で訴え、和解している。その後、徐々に表舞台からも姿を消し、兄も騒動の最中に弁護士資格を取得。それぞれが新たな生活、元の生活へと戻っていくのだった。
もちろん尾崎にもさまざまな問題はあったが、大楽氏が本で書いたことや発言は、繁美夫人とその取り巻きとのトラブルを超え「尾崎豊は殺された」という、根深い疑惑を生んだのも事実だった。