そのとき感じた言葉を紡ぐことが大事
「負けた人にも、報道で取り上げられないところにドラマがあります」
長野五輪の男子ラージヒル団体や、北京五輪の女子ソフトボール決勝など、数々の名場面に立ち会ってきた工藤三郎さんはこう語る。
「名実況と呼ばれるもののほとんどは、視聴者の気持ちと重なりやすい、期待の選手が勝ったときに生まれます。ですから、期待していた選手が負けたときほど難しい実況はありません。肩入れしすぎると、負けたときに取り繕った実況しかできなくなる。あくまで冷静に、事実をお伝えする。期待の選手が負けたということは、それ以上に称えるべき選手がいるということですからね」
“勝者を称えつつ、敗者の健闘も忘れない”。冬季ソチ五輪で、誰もがメダルを獲得すると信じて疑わなかった高梨沙羅選手が4位に終わった際、直後のインタビューで工藤さんは、「よく頑張りました」と最後に声をかけ、大きな好感を呼んだ。
「斟酌(しんしゃく)せずに、“敗因は?”と聞くこともプロフェッショナルな姿だと思います。ですが、選手の姿を取材し、見続けてきた側からすると、そのときに感じた言葉を紡ぐことも大事。バルセロナ五輪の400メートル決勝で、高野進選手が8位でフィニッシュしたときもそうです。“メダル獲得ならず”ではなく、自然に“高野は世界の8位”という言葉が出てきたんです」
この決勝前の予選で起きた、あるエピソードが印象に残っていると工藤さんは話す。
「準決勝で、メダル候補との呼び声が高かったイギリスのレドモンド選手が足を引きずるアクシデントに見舞われました。失格をまぬがれたい彼は何とか走ろうとした。ところが、見知らぬおじさんが侵入し、彼を抱きかかえてしまった。
後にわかるのですが、レドモンド選手の父親だったんです。格上の彼のアクシデントがなければ、高野選手の決勝進出はなかったかもしれない」
ロンドン五輪の際、レドモンド選手が会場に姿を現すと、大歓声に包まれたという。
「私たち同様に、それぞれの国にドラマがある。だからこそ、誰が勝ってもスポーツの凄みや醍醐味が伝わるように、アナウンサーは実況をしなければいけません。できることなら、日本人選手以外にも関心を抱いてほしいですからね」
長年、スポーツとかかわってきた工藤さんにとって、平成の30年間でスポーツはどう変わったのか尋ねると、
「“やる”“見る”以外に、“サポート”“マネージメント”“プロモーション”といった要素が顕著になったことでしょうか。単なる興行ではなく、エンターテイメントやビジネスとしてスポーツを成り立たせるように変わりました。同時に、平成の幕開けとともに、ベルリンの壁、ソ連が崩壊したことで、東西冷戦は終結。オリンピックが政争の道具として扱われる機会も激減しました」
だからこそ、オリンピックは商業的な側面を強めていったともいえるだろう。
また、「アナウンサーに限った話」として、こんな指摘も。
「インターネットによって情報が手に入りやすくなり、実況の形も進化しました。バルセロナまでは、選手の情報は英字新聞か現地取材でしか得られなかった。ところが、ロンドン五輪になると、ネットを通じてリアルタイムで全競技が視聴できる時代になり、実況における情報も格段に増えました。先の平昌五輪では、アイスホッケーの試合において、NHKでも実験的にロボット実況を投入したほどです」
驚くことに、AIはそつなく実況をこなし、評価も上々だったとか。
となると、今後は工藤さんのような名実況が生まれなくなる!?
「アナウンサーにとっては踏んばりどきです(笑)。“生身の人間の実況がいい”と言ってもらえるように、私たちも選手たちに負けない努力をしていかなければなりません。今後は、さまざまな実況が登場することが予想されますから、試合だけでなく実況にも注目すると、よりスポーツが楽しめると思いますよ」
《識者PROFILE》
くどう・さぶろう ◎元NHKのエグゼクティブアナウンサー。プロ野球を中心に実況を行い、平成オリンピックのほとんどの大会で現場入りしている。