Jリーグの成功を経て、スポーツがよりコマーシャルかつ地域密着な姿へと変化した平成。日韓W杯で、アフリカ・カメルーンのキャンプ地に選ばれた大分県中津江村は、ほがらかな坂本村長(当時)のキャラクターもあり、時の人ならぬ時の村に! 5日間もチームの現地入りが遅れ、報道の過熱に拍車をかけた。

 当時、スタッフの1人として招致をサポートし、現在もキャンプ地(鯛生スポーツセンター)で働く津江みちさんは、「連日、大勢のマスコミの方が押し寄せたため、村民の中にはインタビュー慣れする人もいたくらいです」と微笑む。

 カメルーンの大遅刻ばかりに焦点が当たりがちだが、“小さな村の大きな挑戦”には、数々のドラマがあった。

外国人を見たことがない村人ばかりだった

「当初、カメルーンよりも先にジャマイカが強い関心を抱いていたんです。ところが、予選で敗退してしまいご破算に」(津江さん、以下同)

 もしジャマイカがW杯本選に出場していたら、中津江村はジャマイカ一色になっていたかもしれない。

 その後、ジャマイカ同様に村の風土や環境を気に入ったカメルーン代表がキャンプ地として指名。「まさか本当に代表チームが来るとは思わなかった」と津江さんが振り返るように、村は徐々に慌ただしさを増していく。

「アフリカ人はおろか、外国人を見たことがない村民ばかり。別府にある立命館アジア太平洋大学(APU)に、カメルーンから来た留学生が1人いたので、中津江村に来てもらい、何度も村民と交流を重ねてもらいました。段階を踏まないと、ひっくり返っちゃう人もいそうな村なんです(笑)」

 現在、88歳になる元村長の坂本さんは、年齢が年齢だけに表舞台に登場する機会は少なくなったが、招致の際は「できることは何でもやろう!」と、村民を盛り上げていたそうだ。

 一時的にキャンプ地として盛り上がるのではなく、各方面から利用してもらえるような施設を目指し、スタッフを福岡のホテルニューオータニ博多に派遣。給仕やベッドメーキングなどを学ばせた。「カメルーンが来てくれたことを次に活かそう」──そんな気概に満ちていたという。

「留学生に聞くと、カメルーンの鶏は放し飼いで育てているから、日本の養鶏の味とは違うと。なので、敷地内の屋外で放し飼いをして、少しでも鶏肉の味が“カメルーンスタイル”に近づくようにしました」