『72時間ホンネテレビ』では、3人が3日間ブッ通し生配信に挑み、大反響を呼んだ

 TBSテレビで『中居正広の金曜日のスマたちへ』『オトナの!』などの番組を手がけてきた、バラエティプロデューサーの角田陽一郎さん。平成バラエティーについて振り返るとき、「アメリカ同時多発テロ事件が発生した2001年(平成13年)9月11日は大きなターニングポイントでした」と強調する。

「それまでは『電波少年』の成功にならうように、『ガチンコ!』をはじめとしたリアルな雰囲気を重視するドキュメントバラエティーが人気でした。ところが、ビルに飛行機が突っ込むという映画のような出来事が現実社会で発生したことで、“なんちゃってリアル”が通用しなくなった。

 当時、僕は『金スマ』を立ち上げる準備をしていてドキュメントバラエティー路線を視野に入れていたのですが、9・11を見て、その考えを改めたほどです」

'17年11月3日は「テレビが終わった日」

 角田さんの直感は的中する。翌年になると、『進ぬ!電波少年』『ガチンコ!』の視聴率は低下し、両番組とも次々と終了。かわりに台頭したのが、『トリビアの泉』('02年)『Qさま!!』('04年)といった情報・クイズ系のバラエティーだった。

「視聴者がテレビにストーリーを求めなくなった。9・11の衝撃的な映像を見たあと、テレビがつくるリアルを見ても冷めてしまうだけ。一方、身近な知識や役立つ情報などには抵抗感が少ない。'11年の東日本大震災によって、その傾向は決定的なものになったと思います」

 フジテレビが掲げていたキャッチフレーズ「楽しくなければテレビじゃない」は時代錯誤のものとなり、クイズ番組や情報バラエティーといった“当たり障りのない番組”が増え、今に至る。決定打となったのは'17年(平成29年)11月3日。その日を角田さんは、「テレビが終わった日」と言ってはばからない。

「2日から5日にかけて、 インターネットテレビのAbemaTVが、稲垣(吾郎)さん、草なぎ(剛)さん、香取(慎吾)さんが出演した『72時間ホンネテレビ』を放送しました。

 国民的スターがテレビではなくネットに出演し、多大な反響と驚異的な視聴数を獲得した。素人やアマチュアが出るものだと思われていたネットの世界において、人気者が出ても大きな効果を生み出すことを世に知らしめた。僕はそんな画期的な出来事があった日を、2日ではなくあえて文化の日を選んで、“テレビが終わった日”としています」