《お妃候補 小和田雅子さん電撃浮上!》
'87年の12月、年末に発売された新年合併号のこのトップ記事により、雅子さまの存在が初めて世間に知れ渡ることになりました。
それまでまったく、名前が取りざたされていなかった外務省勤務の女性がお妃候補だという記事の反響はすさまじく、発行した104万部が完売したんです。しかも、雅子さまご本人も、記事が出た当時、自分がお妃候補だということを認識していなかったのです。
実は、この記事が出た後、雅子さまの父親・小和田恆さんから『週刊女性編集部』に次のような電話がかかってきました。
「この電話に関して記事にしないと約束できるのであれば、お話ししたいことがあります。あなた方に悪意がないのはわかっているけれど、うちの娘がお妃候補だというお話はないので、もう娘を追うのはやめていただきたい」
私たちがこの記事を出した翌年、雅子さまはイギリス留学が決まっていたこともあり、他誌には“小和田雅子さんがお妃候補のはずがない”という記事も出回っていましたね。
情報はどこで入手したのか
そもそも私が雅子さまの情報をキャッチしたのは、『週刊女性』で『東宮御所物語』という、当時の東宮ご一家に関する連載を担当していたことが関係しています。
毎週の原稿は、東宮侍従に確認いただくため、東宮御所まで原稿をお届けしていました。そのお付き合いを続けていくうちに、東宮関係者とも情報をやりとりできるような関係になったのです。
そのうちに、「浩宮さま(現在の陛下)が雅子さんという女性と頻繁にお会いしている」という情報が耳に入りました。当時の侍従が雅子さまのことを“雅子ちゃん”と呼んでいて、御所への出入りも数回とのことだったので、何となくあやしいなと思っていました。
調べてみると、雅子さまのお父様が外務省高官であることがわかりました。当時は外務省高官の家族名まで紹介されていた名簿があり、すぐに《小和田雅子》というお名前にたどりつけたのです。出身校なども判明し、雅子さまの同級生や周囲の方々を徹底的に取材し始めました。