2011年の大相撲八百長騒動。三月場所は行われず、翌場所は技能審査場所として無料開催。相撲人気はどん底だった。彩豪さんは、そんな中だからこそ相撲のために「何かしたい!」と立ち上がり、動き出した。

「巡業をやるとひと言でいっても、とても大変です。彩豪関は力士時代に巡業を経験していますが、裏側がどんなふうに進行しているのかなんて何もわかりません。そこで彩豪関は、各地の巡業を自分の足で見て歩き、勉強をし、巡業をいちから作ったんです。

 土俵の土だって、どこに注文したらいいのか? 協賛を受けるには? 実行委員会は? と、問題は山積みでした。さいたまスポーツコミッションというスポーツを通じた地域活性化のための団体の助けを受けて、ひとつずつクリアしていったそうです。それだけでなく、飛び込みで営業にも行ったと聞いています」

 そうやって彩豪さんがいちから作った『大相撲さいたま場所』は、昨年までで6回開催され、筆者の私も2度ほど足を運んでいる。

 ファンとおすもうさんがちょうどいい距離感で交流し、とても温かい雰囲気にあふれ、相撲ファンの間でも特に人気の高い巡業先だった。

「みなさんが感じてくれた雰囲気、それこそが彩豪関が目指した巡業の形だと思いますよ」と橋本さん。

 私は取材として設営のお手伝いをさせてもらったこともあるが、彩豪さんは見ず知らずの私を快く迎えてくださったのを覚えている(当時のコラム記事「さいたま巡業に参戦!土俵からゴミ箱作りまで、そして鶴竜に萌え♪」)。

 

喜界島で見た子どもたちの姿

「それとともに彩豪関は、子どもたちの未来をとても考えていました。埼玉相撲クラブの顧問をして、小中学生に相撲を教えてもいましたが、“もっと何かできないか?”をずっと考えていたんです。

 そして、去年のゴールデンウイークに僕の故郷である鹿児島県の喜界島に一緒に行ったときのことです。今は廃校して宿泊施設になっている小野津小学校の校庭でバーベキューをしていたとき、ふと子どもたちを見ると、校庭の真ん中にある土俵で相撲を取っていたんです」

 ついさっきまで、遊んでいた花火を使い果たし、「つまんなーい」と言っていた子どもたちが見つけたのは、土俵だった。

「下は2歳から上は中学3年生、お兄ちゃんは下の子に負けてあげたりと、ワイワイ楽しそうにやっていました。それを見た彩豪関が『これだ!』と、突然、言い出したんです。『土俵があれば、子どもたちは自然に相撲を取る!』と言い、そこから、なぜかふたりで泣きながら相撲を語りました(笑)」