成績がついていけなかったこともあり、高校は定時制へ。年齢や環境の違う同級生は、一筋縄ではいかない人たちが多かったが、石崎さんには、それが非常におもしろかったという。「多様性」を意識したのかもしれない。
NHKの『真剣10代しゃべり場』という番組にも出演。「麗しきディベートの貴公子」と呼ばれていたようだ。
「人生で唯一、調子のいい時期でした(笑)」
ひきこもりどころか、青春を謳歌(おうか)しているように思える。しかも推薦で大学に入学してひとり暮らしを始めたというから、自由に楽しむことを覚えたのかと思いきや、心身が徐々に悲鳴を上げていく。
「僕は人生において、リラックスしたことがなかった。いつでも自己嫌悪がひどくて、人からどう見られているかを気にして緊張状態。心も身体もバキバキでした。何かあると自分が悪いんだと責め続けた。人はみんな精神的にギリギリのところで明るく振る舞うものと思い込んでいました。そうではないと知ったのは30歳を過ぎてから」
就職直後、思いつめて自殺未遂……
大学入学前後から病院に通って抗うつ剤を飲んではいたが、とにかく調子が悪い。医師からは、心身症、うつ病、双極性障害などたくさんの病名をつけられた。
「吐き気がひどかったり強迫観念にかられたり。大学にもあまり行けず、部屋で寝ていることも多かったんですが、アルバイトをしないと生活できない。その状態のまま、就職活動を始めました」
小さいながらも出版社に合格。ところが入社当日から12時間働かされた。それが3日間続き、あげく「週末はボランティアして」と出社を強要された。
「その3日間、雑用以外に僕がした仕事はテープ起こし5分ですよ。専門用語が飛び交い、音質が悪くて全然聞き取れなかったんだけど、それを上司に相談もできず……。“5分しか起こしてないのか”と言われ、無能なんだ、社会人失格だと思い込んで……。もう普通には生きられない、会社に行くか死ぬかのどちらかだと思いつめて。針金のハンガーを開いてタンスにかけ、首をかけて死のうとしたんですが、うまくいかなかった」
ただ、そこで石崎さんの「理性」がかろうじて働いた。追い込まれたとき、相談できるのは親しかいなかった。大学4年で実家へ戻っていたので、親に意志を伝えた。そして彼は3日働いた会社を辞め、緊急で3週間入院した。
問題はそのあとだ。退院してから自転車や徒歩で行ける場所でアルバイトを始めたが、通勤途中に気分が悪くなって吐いてしまう。バイトをやめて病院に通う日々。
「社会参加していないことに負い目があるし、親には申し訳ないし。自室にこもって、夜中に冷蔵庫をごそごそ探っていた。お風呂も週に1回か2回しか入らない生活でした」