喜久井ヤシンさん(31)のケース
待ち合わせの喫茶店にやってきた彼を見て、「名探偵コナン」みたいな青年だなと思った。穏やかな表情だが、眼鏡の奥の目は非常に冷静で知的な印象である。エスニック調のファッションがセンスのよさを感じさせた。
彼は小学校2年生から不登校になり、ずっと「学校へ行けなかった自分」と闘ってきた。
「とにかく学校というシステムが合わなかったんです。何時から何時までそこにいなくてはならないという時間割が私の生理に向いていなかった。1時間目に国語があったら、頭は国語になっている。それなのに2時間目にすぐ算数の頭に切り替わらないんですよ」
喜久井ヤシンさん(31)は落ち着いた口調でそう言った。共働きの両親の間に生まれたひとりっ子。保育園に通うころは「たくさん遊んで楽しかった」と話す。小学校に入って、急にいろいろな規制や制約があることに心身が拒絶反応を示したのだろうか。
実は私自身も、規則やシステムが守れない子どもだった。小学生のころ、全校生徒が校庭に並ぶとき待つことができず、ひとり列を離れて砂場で遊んでいた。先生が追いかけてくると捕まらないように逃げ回った。私は校庭で全校生徒がそろうのを、ただ列を作って待つのが無駄だと感じていたのだ。そろうまで砂場で遊んでいてもかまわないと思った。
子どもから見れば、ことほど左様に学校のシステムは無駄が多い。私は開き直ったような態度を見せていたが、幼いころから繊細なヤシンさんはシステムへの恐怖感が私よりずっと強かったに違いない。
学校へ行けない理由は、単純な話じゃない
「私が学校へ行かないことで母親は激怒、無理やり腕を引っ張って行かせようとしました。だけど、そうすればするほど身体が拒否反応を示すんです。全身が虚脱して動けない、頭痛、腹痛もひどくなる。結果、行けない状態になる」
周りはなんとかして学校へ行かせようとする。なぜなら「子どもは学校へ行くべき」だからだ。3、4年生のときは少しだけ行った。5、6年生になると、“保健室登校”はどうかと学校側から提案があった。ボランティアが来ていたので、そこに通った。
「ただ、ボランティアが“なぜ学校がイヤなの?”と聞くんです。時間割がいやだ、食べたくもないのに給食の時間だと無理やり食べさせられるのもいやだと言うと、不登校はそれが原因だと決めつけられる。学校へ行けない理由は、そんな単純な話じゃない。私だって親の期待を裏切って失望させて申し訳ないと思っていたし、できるならきちんと通いたいと思っている。自分が自分に裏切られているような気持ちだったんです」
不登校の原因は「自分でも説明しづらい」と彼は言う。彼の場合、病気でも、いじめでもない。学校のシステムになじめないのは一端である。そして、たとえいじめを受けても学校へ行っている人もいる。そんなことはわかっている。だからこそ他者には説明できないし、親も自分も裏切っているようでつらかった。