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かつて永六輔さんは、人の死は1度だけではありません、と語った。最初の死は医学的な死。死者を覚えている限り、その人の心の中で生き続け、最後の死は、死者を覚えている人が誰もいなくなったとき、だという。
樹木希林さんの言葉を綴った本が売れている。読者は珠玉の言葉たちを体に染み込ませ、それを誰かに伝える。その循環が繰り返されているうち、希林さんは生き続けている。
希林さんの言葉は名言というより、面白い。夫の内田裕也さん関連の書籍、娘の内田也哉子さんのエッセイと一緒に読むと、さらに面白さは倍増し、深みを増す。自分の身に起きることを、憂うのではなく面白がっている。その生き方は舌を巻くものばかりだ。
面白いに品を感じる
『舌を巻く』を辞書で引くと、「相手に圧倒されて、驚く、感心する」とある。
生前、希林さんと仕事をされたトップクリエイターはみな、この言葉を、身をもって実感したと思う。
勝手に推測をすると、演出家・久世光彦さんは希林さんの演じた寺内きんのキャラクターに舌を巻き、CMクリエイター・川崎徹さんは、「美しい人は美しく、そうでない人は」の後に希林さんの「それなりに」という台詞に舌を巻き、映画監督・是枝裕和さんは希林さんの数々の演技に舌を巻いたはずだ。
どんなことでも面白がる。それがモットー。女優という仕事に人生を捧げるとか二枚目なことは言わず、人間をやるために生きているとさらりと言ってのける。事務所に所属せず、マネージャーもつけず、FAXで仕事の依頼を受け、わりの悪い仕事が来ると、平気で他人を推薦したりする。なんでも使い切るのが信条で、友人の亡き夫がはいていたパンツをもらって自分がはいている。それらにユーモアと品を感じる。
自分も含め、何か新しいジャンルに進むと人はミイラ取りがミイラになりがちだ。バラエティのディレクターが番組で政治を取り上げると、なぜか政治記者気取りになる。取材をしているうちになんだか自分も賢くなった気になり、難しい政治用語を使い小難しくしてしまう。
希林さんはどんなジャンルに進もうが、常に面白がる姿勢を変えない。
松尾貴史さんに聞いた、素敵なエピソードがある。
希林さんが見せた1枚の写真には、拳を振り上げて孫を恫喝(どうかつ)している内田裕也さんが写っていた。松尾さんは、「孫にまで、怖い人だったんだ……」と心の内で思ったが、希林さんはその写真がお気に入りだと言った。理由を聞いたところ、その写真は、孫が裕也さんになぞなぞを出したときのもので、裕也さんはそのなぞなぞの答えを真剣に考え、答えに窮していたという。
痺(しび)れを切らした孫がおじいちゃんに答えを教えてあげようとした時に、「まだ言うんじゃねー」と叫んだときの顔だという。夫への愛情を面白さで包んだ素敵な話だと思った。
面白いに品を感じるのはこうところなのだ。
希林さんが亡くなられたとき、CMクリエーターの佐々木宏さんが宝島社の新聞広告を出した。希林さんがぺろっと舌を出している。それが天国から届いた希林さんらしいユーモアあふれる写真に思えた。裏話によると、遺影に使った写真を加工したもので、舌は娘の也哉子さんのものだという。
希林さんの才能に舌を巻いた佐々木さんが企て、面白がる精神を受け継いだ也哉子さんが舌の写真を提供した、ユーモアの合作だ。これも勝手に深読みすると、裕也さんが勝新太郎さん監督の映画『座頭市』に出た時の役名が赤兵衛。これはローリングストーンズ好きの裕也さんのために勝さんが考えた役名で、あっかんべーの洒落(しゃれ)だという。
あっかんべーが、裕也さん、希林さん、也哉子さんでつながった。
その広告にこんな一文がある。
《日本には「水に流す」という言葉があるけど、桜の花は「水に流す」といったことを表しているなと思うの。何もなかったように散って、また春が来ると咲き誇る。桜が毎年咲き誇るうちに、「水に流す」という考えかたを、もう一度日本人は見直すべきなじゃないかしら》
今の世間を言い表す言葉に舌を巻いた。
さらに、こんな文もある。
《絆というものを、あまり信用しないの。期待しすぎると、お互い苦しくなっちゃうから。だいたい他人様から良く思われても、他人様はなんにもしてくれないし(笑)。迷ったら、自分にとって楽なほうに、道を変えればいいんじゃないかしら》
今、たった1回のゴシップでこれでもかと叩かれている人たちに、勇気を与える言葉だ。
希林さんの言葉は、叩いたり、罵倒(ばとう)したり、急に褒めたり、風向きを見て共感したりと、目先の意見に振り回されている人たちに染みる読む薬なのだ。だから、売れている。
<プロフィール>
樋口卓治(ひぐち・たくじ)
古舘プロジェクト所属。『中居正広の金曜のスマイルたちへ』『ぴったんこカン・カン』『Qさま!!』『池上彰のニュースそうだったのか!!』『日本人のおなまえっ!』などのバラエティー番組を手がける。また小説『ボクの妻と結婚してください。』を上梓し、2016年に織田裕二主演で映画化された。著書に『もう一度、お父さんと呼んでくれ。』『続・ボクの妻と結婚してください。』。最新刊は『ファミリーラブストーリー』(講談社文庫)。