働きながらの子育て
しかし、ひとり親での子育てとボクシングの両立は想像以上に過酷な生活だった。
「離婚調停中のため養育費がもらえなかったので、ひとりで子育てをしながら時給1000円のジムのインストラクターを掛け持ちし、その合間に練習をする感じでした。夜泣きもあったので、睡眠時間は毎日3時間くらいでしたね。
ただ、大変だなと思うことはあっても、復帰できたこと自体が奇跡なので、つらいと思ったことはありませんでした」
子育て、仕事、そしてボクシング……と目まぐるしい日々。だが吉田選手は、忙しすぎるくらいのほうが自分にはちょうどいいと笑顔で話す。
「子育てがあって練習時間も限られるなか、これが最後のチャンスと追い込まれたから、自分自身も究極に変われた気がします。環境が整ってしまうと、一生懸命やっているつもりでも、どこかで甘えてしまう。
みんなには、“しくじり先生”って呼ばれているんですけど、いろんな失敗もバネにしながら、考える暇もないくらい忙しく頑張っているほうが私には向いているのかもしれませんね(笑)」
その頑張りは実を結び、2017年10月には日本バンダム級王座、続く2019年6月には目標としていたWBO女子世界スーパーフライ級王者の座を手にすることになる。
「日本タイトルをとるのは迷惑をかけてしまったことに対する禊(みそぎ)だと思っていたので、“世界王者”をとって、やっといろんな人に安心してもらえたかなと。そういう意味でここまでは恩返しだったので、次の防衛戦からが本当の自分のスタートで、自分との闘いだなと思っています」
もちろん、不安がないわけではない。
「男子と比べると、女子ボクシングはファイトマネーの桁(けた)が違うので、それだけでは生活ができないんですよね。女子の選手たちの多くは会社員やバイトをしながらボクシングをやっていますけど、私は娘との生活がかかっているので。
自分で営業をして、協賛を募って費用を集めたり、チケットを頑張って売ったりしているんですけど、世界チャンピオンになったことで試合会場の規模も額も変わってくる。子育てと両立しながら、金銭的にあと何回防衛戦をできるのか、モチベーションを保てるのかという不安はあります」
しかし、そうした不安を現在4歳半となった愛娘の存在が払拭してくれた。
「口が達者になってきて手を焼くことも多いんですけど、ママかっこいいとリスペクトしてくれているんですよね。そして、ママは絶対チャンピオンじゃないとダメって、すごくこだわっているので、いちばんいいプレッシャーを与えてくれていますね。
その期待に応えるためにも、いろいろな不安にとらわれず、初心に戻りたいと思っています。一度はもうできないと思っていたことが、いまできているわけだから、ひたすら強さを求めて突き進もうと思ってます。そうやって自分自身のメンタルが落ち着いていると、子育てにもいい影響が及ぶんじゃないかなって」
女性格闘技を広めたい
自身のことで精いっぱいだった吉田選手だが、最近は今後の女子ボクシング界、格闘技界を担っていく後続の選手たちのことも考えるようになったという。
「格闘技に人生を変えてもらったことに感謝をしているので、自分の存在が少しでも後輩たちにいい影響を与えられたらなと思いはじめました。
そのためにも、女子ボクシングは男子に比べてまだまだマイナースポーツなので、地位を上げて、女子も強いんだということをもっと広めていきたいです。男子はいいなとうらやましがるだけじゃなくて、自分が動くことでいまの状況を少しでも変えていけたらと」
「吉田って強かったね」と語り継がれる存在になりたい──。己の強さを求め、そして女子格闘技界の地位の向上を目指して『闘うシングルマザー・吉田実代』の挑戦はこれからも続く。
吉田実代●よしだ・みよ●1988年4月12日、鹿児島県生まれ。小学2年~中学1年はソフトボール選手として活躍。中学卒業とともに母親のもとを離れ、仕事をしながら通信制の高校を卒業。20歳でハワイに単身留学し、総合格闘技を開始。帰国後、キックボクシング、総合格闘技などを経て14年にボクサーへ転向。同年5月、4回判定勝ちでプロデビュー。'17年10月、日本女子王座第1号のバンタム級王座決定戦で高野人母美に判定勝ちで初代王者に。'18年8月に東洋太平洋女子同級王座も獲得。'19年6月にWBO女子世界スーパーフライ級王者王座も獲得した。