やさしすぎて空回りすることも
次は工作。紙の筒やセロファンなどを使い、「光の万華鏡」を作る。
「すごくきれい!」
「花火が打ち上がっているみたい」
「これで自由研究ができた」
あちこちで歓声が上がる。
最後はアフリカの太鼓&マラカス。子どもたちが思い思いに叩いている間に、オヤツを用意する。この日はミニケーキとタピオカドリンク。幼児でも飲めるように、小さな粒のタピオカを使うなど配慮もこまやかだ。
午後3時に終了。トニーさんは子どもたちとハイタッチして見送る。
「せ~の」
トニーさんはわざとタッチする手をずらし、コケてみせる。子どもは大喜びだ。
この日、ボランティアとして、運営を手伝ったのは20人。妻の順子さんも子ども2人を連れて手伝いに来ていた。
ボランティアもバラエティーに富んでいる。永井慈史さん(45)は神奈川県立高校の教諭。外国人の元教え子と参加した。
「高校の現場では、出稼ぎに来た親に呼び寄せられて日本に来る子どもは増えています。なかには挫折しちゃう子や日本にうまく溶け込めない子も。トニーさんを見て、外国人でもこういうことができるんだと、ロールモデルにしてくれたらいいなと」
三田瑞江さんは最高齢の78歳だ。
「戦争直後の私たちは食べ物もない、住む場所もない、ひどい状況だったの。そのときアメリカ政府がいろいろやってくれたようにね、いま困っている人がいるなら、日本人として知らん顔をしていられないのでね、首を突っ込んでみただけ」
青山学院大学3年の吉田賢志朗さん(20)は7、8回目の参加。所属するボランティアサークルSIVAの後輩12人を連れてきた。トニーさんの魅力をこう語る。
「もう、やさしすぎて(笑)、空回りすることもあるくらい。自分の体調が悪いときでも、子どもたちを楽しませようとするので、もっと自分をいたわってほしいです。たぶん、人類はみな家族だと思っているのでしょう。
これだけやっているのに、もっといろいろな人を呼びたいと言うんです。その心意気がすごい。ぜひ手助けしたいなと思って何回も来ていますが、今日は呼びすぎちゃいましたね(笑)」
ボランティアがどれだけ集まるかは毎回違う。ときには数人しか来ないことも。軽い気持ちで参加して、大変さに不満を言ったり、帰ってしまう人もいるそうだ。
それでもうまく回るのは、青田幸治さん(45)の存在が大きい。昨年5月からほぼ毎月来て運営を支えている。
青田さんは仕事でデジタルカメラの設計をしている。会社主催の科学教室で小・中学生に教えることもあり、今回の工作のアイデアも出した。
「誰しも人の役に立ちたいという欲求があると思いますが、残念ながら今は仕事で得られにくいので(笑)。それに子どものサポート体制を充実させないと、このままでは“日本ヤバいよね”と感じているので、できることはやろうと。
トニーさんにいろいろやってとお願いされても、不思議とイヤな感じがしないのは、彼の人柄なんでしょうね。日本に来たころは食べるのにも困って、相当苦労されたと聞きましたが、そういう苦労話も明るく話される。強い方なんだと思います」
野菜などの食材の寄付や寄付金、助成金ももらっているが、それではとうてい足りず、大半はトニーさんのほかの事業の収益で賄っている。
朝から休みなく準備して、月4回も子ども食堂を続けていくのは相当な労力だ。トニーさんは“日本への恩返し”だというが、その裏には何があったのか─。