「内田をよろしくね」
誰に対しても飾らず、ありのままの姿で接していた希林さん。長年、彼女が信頼し、愛用する着物について相談をしていた相手が、着物スタイリストの石田節子さんだ。
「'92年、希林さんが小林聡美さんと親子漫才の役をやったときに、私がおふたりの衣装を担当したのが最初で、その後、ずっとお付き合いをさせていただきました」
モノを持たない生活を自称していた希林さんは新しい着物は買わず、人から譲り受けたものを大切にしていたという。着物スタイリストとして独立した当初、生計を立てるため清掃員のアルバイトも行っていた石田さん。その当時から希林さんは厳しくも温かく、世話を焼いてくれていた。
「希林さんとしては、この子を世に出してあげたいと思ってくれていたんだと思います。希林さんが出演していた『ピップエレキバン』や『フジカラー』のCMで初めてスタイリストとしてお仕事をいただき、現場でのあらゆることを学びました。荷物が大変だろうからと、おひとりで運転なさって私の送り迎えまでしてくださったんです」(石田さん、以下同)
'11年に放送されて“夫婦共演”が話題となった結婚情報誌『ゼクシィ』のCMで、裕也さんのスタイリングも担当した石田さんは、CM撮影で思い出すエピソードがある。
「着替え用にロケバスを2台用意すると言われていたのを“1台でいいの、もったいないから”と断っていました。“私が先に支度をして、ほかの車に移るから”と入りの時間を早めていました」
仕事ではもちろん、私生活でも着物を着ることが多かった希林さん。その理由に彼女の奥深い優しさが垣間見えた。
「希林さんは、いただいた着物を必ず手直しをするのですが、それには仕立て、洗い張り、染め直し、そして再び仕立ての工程が必要になります。実際にご本人が着物を着るまでに、たくさんの職人さんたちが仕事をすることになるんです。職人さんたちの仕事がなくならないようにそして着物がなくならないようにと、たくさんの方のことを思ってくれていたんです」
着物の手直しが、たくさんの人の“しあわせ”に結びつくことを望んでいたのだ。
「みんながよくなることが、希林さんの希望でもありました。人にいただいたものでたくさんの人が潤うのであれば、いただいた着物をさらに素敵なものに仕立て変えて、いろいろな場所に着て行ってあげたいというお気持ちで、けれんみのあるカッコいいお着物姿になったのかなと思います」
いただくもののなかには高価な着物もあったが、希林さんはハサミを入れることに躊躇はしなかった。
「ご本人は“着てこそ、よ。いただいたら、すぐに着なきゃ”という意識でした。本当に希林さんらしいですよね」
そんな彼女の“おすそわけ”は夫婦の愛にも表れていた。
「16年前から裕也さんのマネージャーを務め、自宅で闘病生活を送っていた際は、ずっと彼に寄り添い続けていたAさんの存在が、一部週刊誌で報じられました。希林さんは彼女に対して“私ができないことまで内田のためによくやってくれている方。感謝の気持ちしかありません”と話していたそうです。また、ご自身がもう長くないと悟ったときは、“内田をよろしくね”と彼女に伝えたといいます」(スポーツ紙記者)
裕也さんのそばにいた女性たちにも感謝を忘れず、思いやりの心を持ち続けた希林さん。世間一般的な夫婦の形ではないにしろ、彼女が夫を思う気持ちは、生活のあらゆる場面で垣間見えたという。
「『ゼクシィ』の撮影後に、私が“裕也さんってステキですね”と言ったら、“そうでしょ、ステキでしょ?”と返してきたこともありましたよ(笑)」(石田さん)
“一切なりゆき”と言いながら、心遣いを忘れない希林さんの生き方は今後も人々を魅了していくに違いない。