'11年4月24日、頸椎を脱臼骨折

 '90年、兵庫県神戸市で3人姉妹の次女として生まれる。ともに会社員だった両親は、休みになると子どもたちを車に乗せてキャンプに出かけたり、旅行に連れて行ってくれたという。「じっとしていられないくらい活発な子」だった倉橋さんは、体操を見るのが好きだった母の影響で小学1年の終わりから体操教室に通い始める。

前列左端が倉橋さん。体操の練習日の夜は疲れてぐっすり眠ってしまうほど必死に取り組んでいた
前列左端が倉橋さん。体操の練習日の夜は疲れてぐっすり眠ってしまうほど必死に取り組んでいた
【写真】トランポリンで空を舞う倉橋さん、リハビリ生活中も常に笑顔だった

「水泳やバレエなどほかの習い事もさせてもらったんですが、本当に好きな体操しか長続きしませんでした」

 車で送り迎えをしてもらい、週5、6回練習をした。

「体操は同じ練習を何回もして技ができるようになっていくんですが、ラグビーも同じで、ボールにタッチする練習を何回もして上達していくんです。それが大切なことは自分でわかっているので、何においても毎日コツコツやることは、苦にならないのかもしれません

 '09年、埼玉県越谷市の文教大学教育学部に進学。小学校の教員免許と中学・高校の体育教師の免許が取れるという理由で選んだ。高校3年まで続けた体操はひと区切りし、トランポリン部に入部する。

「体操でトランポリンを使った練習をしたことがあって、怖かったり苦手意識があったんですが、体操と違った宙返りのやり方があったり、技ができるのがうれしくて、面白くなっていきました」

2011年2月、大学の合同合宿での練習風景。苦手を克服していく喜びをトランポリンで知った
2011年2月、大学の合同合宿での練習風景。苦手を克服していく喜びをトランポリンで知った

 大学3年になったばかりの'11年4月24日、越谷市のトランポリン大会の決勝前の練習でその事故は起きた。

「東日本大震災の影響で大学がずっと休校だったことと、腰を痛めていて全然練習ができてなくて、出場するつもりはなかったのですが、見ているだけでは楽しくないからやはり出ることにしたんです」

 最初に技に入るときからタイミングが合わないのがわかっていた。しかし順番を待つ人のことも気になり、「いっちゃえ」と再び技に入った。

 すると自分の頭と身体の位置がわからないぐらい混乱し、宙返りの途中で頭からトランポリンに刺さるように落ちた。

「次の瞬間、バーンと倒れて、呼吸が苦しくなりました。それからは意識が飛び飛びなんですけど、“ゆっくり呼吸しろー”というのは聞こえてて、フーフーと息をして少し落ち着いてきたら、救急隊員に“いま脚を触っているんですけど、わかりますか?”と聞かれて、わかりませんと答えました。首をやったら一生歩けないのは何となく知っていたんですけど、感覚がなくなるということは知りませんでした」

 倉橋さんは頸椎を脱臼骨折していた。救急搬送された病院で、5時間かけて首の骨を固定する手術を受けたが、脳とつながる中枢神経が傷ついており、鎖骨から下の感覚がほぼなくなってしまった。