三船は「突然、怒らないでほしい」「娘ともっと遊んでほしい」と話し、高橋は「直します」「努力します」と答えた。裁判でも友人夫妻は同様の証言をしている。離婚の“り”の字も話題に出なかった。
「俺が怒鳴り散らしたと報道されましたが、そんな事実はないです。美佳さんも“いい話し合いができた”と言っていたので、きっと乗り越えて家族が復活する、俺はそう思っていました。ほかにも、俺が大阪に会いに行ったとか美佳さんがウイークリーマンションに住んでいたとか、おたくも含め間違った報道ですよ」
娘とは会えない日々が続いたが、3月23日に大阪で仕事があった高橋は、三船に連絡し、娘と会うことができた。
怒鳴ることはあったけれども……
「フグを食べ、パパと一緒に泊まりたいって言うので、許可をもらってホテルをとりました。翌日の午後に娘を見送ったのですがタクシーからずっと手を振っていて……」
それが、娘と会った最後になった。翌週はディズニーランドに行く約束をしていたが、当日に三船から《熱が出ました》と連絡があった。
「直後の4月9日に離婚調停の通知が届いたんです。最初からディズニーランドに行かせる気はなかったのです」
調停は2回で不調に。三船の弁護士とも話したが、
「“要求は離婚と親権。ハンコを押せば、すぐ娘に会わせる”と言う。離婚はしかたないと折れたのですが、話し合いもなく親権もよこせと言う。子どもはモノじゃないんだから……と突っぱねました」
'15年1月初頭には裁判の訴状が届いた。15日には、それが公となり、“モラハラ夫”と大々的に報道されたのは周知のとおり。訴状には、婚姻当初から高橋が日常的に怒鳴っている、話し続けて寝かせない、生活費の負担をしない、娘の送り迎えをしないことなどが書かれていた。
「そりゃあ怒鳴ることはありますよ。でも日常的にはありません。朝まで寝かせないことも1回はあった。美佳さんが未成年のときに夜遊びをしていたので怒ったんです。俺も仕事があるから、日常的にそんなことをしてられない」
と反論。ほかの点は、
「娘の送迎についても、証言者はいっぱいいます。幼稚園関係者だけでなく、パパ友やママ友もです。ハロウィンの仮装だってしましたから」
なにより、モラハラの診断を受け、関連書籍を読み、自覚したと書かれているが、カルテが提出されていなかった。
「裁判所に請求して出てきたカルテにモラハラとはいっさい書かれていなかったんです。'13年には新たに土地を買って家を建てました。美佳さんもお義母さんもお金を出しているのにモラハラを受けていたら家を建てないでしょ」
最終的に三船側の言い分には、高橋が義母に対してセクハラ行為をしたというまったくの作り話も出てきたという。
「それが離婚理由だったら、最初から出すべき。主張がどんどん変わったんです。なにより美佳さんが不安定になったのは、新居の建設のためお義母さんとの同居が始まった'13年3月からなんですよ」