4年前に私立高校の職員になった。紹介されて会った学校法人のトップが「やり直しができる社会じゃないといけない」と採用してくれたのだ。経済的にも安定し、通信制大学で学びながら、社会科の教員を目指している。
「中学のときは社会が大っ嫌いだったけど(笑)。今は社会学が面白くて。学校に行ってないから知識が足りないことが課題ですね。教育実習でほめられたのは、声がでかいことと生徒に注意ができることくらい。“そこ、何やっているんだー!”って(笑)。今はヤンチャ系生徒を担当していますが事務なので限界がある。教員資格が取れたら担任になれるし、生徒と深くかかわりが持てるかなと」
自分の子育てではルールをいくつか決めている。子どもを抱きしめる。忙しくてもお弁当に冷凍食品は使わない。ご飯は一緒に食べる……。
かつて宿した命を失ったことをきっかけに変わったすえこさん。だからこそ、自分なりの覚悟を持って、子育てに全力で向き合っているのだろう。
母として、子どもたちに注ぐ愛情
そんなお母さんのことが大好きだという次女の彬帆さん(24)は看護師になった。
「学歴がなくて就職が大変だったとか、昔の話をいろいろ聞いていたので、反面教師にして自分は手堅く生きていこうと(笑)。
家での母ですか? すっごいジャイアンなんですよ。わが家の法律はお母さんが司っている感じで(笑)、強いんですよ。今、何足の草鞋をはいているの? っていう状態でも、やりたいことはやってしまう。大変そうだけど好きなことをやっているから、専業主婦のときより生き生きして楽しそう。私はドラえもんのように慈悲深く生きたいと思っていたのに、母に似てるって、めっちゃ言われますよ(笑)」
彬帆さんは今年6月に結婚。今は高校1年の長男、中学1年の次男と暮らしている。
3人で晩ご飯を食べる団らんの場が家族会議になることもあると、長男の禎敬君(15)が教えてくれた。
「例えば、人間関係で悩んでいることを話すと、お母さんは“状況を変えるにはどうしたらいい?”“次はこうしよう”とか、思考がすごいポジティブなんですよ。ただグチを聞いてほしかっただけなのに、話していると何か動かないといけないなーと。だんだん僕も、その思想に染まってきてますね(笑)。いつも忙しそうにしていますが、愛情を感じるし、寂しいと思ったことはないですね」
仕事、育児、学生、『セカンドチャンス!』の活動、映画作り。やるべきことに追われてうまく回らなくなると、頭に浮かぶ一節がある。
《あの坂をのぼれば、海が見える》
中学に入学して最初の国語の授業で習った詩だ。
「ここまでやったのに、あきらめちゃっていいの。あともう一歩なのにって。実際はあと百歩のこともあるけど(笑)。映画を作ったときも“あきらめたかと思った”と何度も言われたけど、私、作るって言ったじゃん。アハハハハ」
映画の自主上映会を各地で開きながら、次は男子少年院を題材にした映画を作りたいと考えている。
その坂をのぼったら、どんな景色が見えるのか─。
取材・文/萩原絹代(はぎわらきぬよ) 大学卒業後、週刊誌の記者を経て、フリーのライターになる。'90 年に渡米してニューヨークのビジュアルアート大学を卒業。'95 年に帰国後は社会問題、教育、育児などをテーマに、週刊誌や月刊誌に寄稿。著書に『死ぬまで一人』がある。