不妊治療のひとつにAID(Artificial Insemination by Donorの略)というものがある。これは男性側に不妊の原因がある場合に、第三者の精子を用いて人工授精を行う方法だ。日本語では『提供精子による(非配偶者間)人工授精』などと呼ばれる。国内では1948年に慶応大学病院で初めて実施されて以来、数万人の子どもたちがAIDによって生まれてきたとされる。
ここ10年ほど、体外受精を何度も試みて失敗した人たちがAIDに流れてきているが、見知らぬ他者の精子を体内に入れ、その子どもを産み育てるという状況は通常では少々考えづらい。
AIDで生まれた子ども本人はその事実をどう受け止めているのか──。当事者の自助グループ『DOG』の石塚幸子さんに話を聞いた。
母への怒りと、よくわからない不安と
「私が事実を知ったのは23歳のときです。父親が遺伝性の病気だったので、私もDNA検査を受けようかと悩んでいたところ、母親に呼ばれて“お父さんとは血がつながっていないから遺伝はない”と聞かされて。昔、慶応病院でほかの人の精子をもらう不妊治療を受けてあなたは生まれた、その精子が誰のものかはわからない、ということを言われました」
初めは病気の遺伝がないことに「正直ホッとした」という。だがその後、部屋に戻り、時間がたつにつれ混乱が彼女を襲った。
「母親がずっと私に隠し事をして、ウソをついていたことがショックでした。父親の病気のことがなければ言わなかったはずで、それがすごく嫌だった。“わたしの人生は母のついたウソの上に成り立っていた”と思えてしまったんです」
その後の母親の対応も追い打ちをかけた。母親は娘のつらさを理解することができなかったのだ。
「ショックをひとりで抱えきれず友達に相談したら、母にそれを責められました。母はAIDを“人に打ち明けるべきではない”と思うほど後ろめたいものと感じていて、そんな技術で私が生まれたんだ、と思うととてもつらかった。“なんでそんなに悩む必要があるの”と言われて、悩むことすら許されないのかと余計に苦しくなりました」
当時は「悲しいのと母親への怒りと、よくわからない不安がまぜこぜ」だったという。