思い通りには進まない
本作の主人公・永山は、執筆時の又吉さんと同じ38歳。彼は漫画家になりたかったが夢は叶わず今はエッセイやイラストを生業としている。
そんな彼のもとに昔の知人から一通のメールが送られてきたことをきっかけに、若いころに共同生活を送っていた同世代の仲間たちとの日々を思い出すところから物語は始まる。
「僕自身も、なりたかったものになれているかというと、全然そんなことはなくて。もともと漫才師になりたくて吉本の養成所に入って、でも最初のコンビを解散して漫才ができなくなり、その後はコント師としてやってきた。
確かに芸人にはなれたけど、子どものころにテレビで芸人さんたちを見て、『こんなふうになれたらいいな』と思い描いていた状況にはなっていないんですね。僕の人生も、すべてが思いどおりに進んでいるわけではないので、永山の気持ちは、すごくよくわかります」
一方、物語の中盤で登場するのが、影島という芸人だ。しかも彼は小説も書き、芥川賞まで受賞する。となれば、読者としてはどうしても又吉さんを重ねてしまう。
作中では、「芸人であることを放棄し、文化人として扱われて悦に入っている」と批判されたことに対して影島が猛反論する場面があるが、これも、又吉さん自身に似たような経験があるのではと思いたくなる。
肩書きはどうでもいい
「僕もよく『又吉さんは芸人ですか、小説家ですか』って聞かれるんですが、そこは影島と一緒で、どうでもええんちゃうかなって思ってます。
これは『火花』でも書いたのですが、むちゃくちゃ面白い八百屋さんのトークライブと、面白くないけど一応、芸人を名乗っている人のトークライブのどちらを見に行くかと考えたら、別に誰も芸人の肩書は求めていなくて、面白さを求めているわけですよね。
だから相手が八百屋なのか、芸人なのかという肩書にこだわる人って、自分が何を面白いと感じるのかがわかっていないんだと思う。そういう人を僕はちょっとだけ舐めてしまうんですよ。そんなの、どうでもええやんって」
私たち女性も、世間から“妻”や“母”といったわかりやすい肩書を押しつけられ、「妻らしく」「母らしく」振る舞うことを要求されることが多い。又吉さんが語る肩書への違和感に納得する女性読者は多いのではないだろうか。