「特段親しくなかった」それでも引き受けた理由
「僕が証人に立たないと、カズヤを守る人が誰もいなくなると思ったんです」。そもそも佐藤さんは土屋死刑囚が高校を卒業した18歳のときに出会っているが、証人として法廷に立った経緯を訪ねると、佐藤さんはこう答えた。
「実は本人(土屋死刑囚)とは特段、親しい関係でもなかったんです」と続けて打ち明けてくれた。
当時の佐藤さんは自立支援ホームには週に2回、夜間の寝泊まり要員として出向いてた程度で、顔を合わせることも少なければ、食事の機会など皆無だったのだという。
ならばなぜ、深い付き合いのなかった佐藤さんが土屋死刑囚の情状証人を引き受けたのか。
「カズヤが15歳までいた児童養護施設の施設長も、職場の元上司も、つまりカズヤの生い立ちを知っている人がみな、(証人として法定に立つことを)断ったんだよね」
こうした事態を知らされたからだ。土屋死刑囚の親族以外に法廷に立った者は、佐藤さんただひとりだけだった。
さらに佐藤さんは続ける。
「ましてや僕はカズヤの事件の後に、(児童養護施設や自立支援ホームを)出た後の子どもたちの面倒を見なきゃいけないと思ってアフターケアのサロンを作ったくらいだから、(土屋死刑囚が殺人を犯したことに対して)責任は感じたんですよ。
もっと早くに、カズヤが児相を出てすぐくらいに僕がアフターサロンを始めていれば、ひょっとしたらカズヤを救えたかもしれない。カズヤと関わってきた身として、できることはやろうと思ってね」
そう言って視線を手元に注ぐ。いつの間にか、さっきまでの柔らかな笑顔が消えていた。
佐藤さんは、一審の前橋地裁で証人に立って以降、何度も傍聴に足を運び、面会にも訪れた。そして傍聴席で、土屋死刑囚から決して語られることのなかった生育歴を知ることになる。