清野とおるさんの母親を直撃

 壇蜜との結婚発表後には、赤羽第一商店街に《壇蜜さん、清野とおるさん、ご結婚おめでとうございます》と横断幕がかかげられるほど、街の知名度上昇に大きく貢献し、愛される漫画家となった清野だが、不遇の時代もあった。

赤羽第一商店街にかかげられた横断幕《壇蜜さん、清野とおるさん、ご結婚おめでとうございます》
赤羽第一商店街にかかげられた横断幕《壇蜜さん、清野とおるさん、ご結婚おめでとうございます》
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もともとフィクションのギャグ漫画を描いていたのですが、連載が2作続けて打ち切られたこともあります。マンガ誌の編集部に持ち込みをしても、雑に扱われていたこともあり、今でも編集者に対しては根深い不信感を持っています」(出版関係者)

 転機となったのは、ネット漫画だった。

清野さんが始めたときは、ネット漫画に大手は参入しておらず、一般的ではなかった。業界では“ネット島流し”などと言われていました。しかし、そこで人気が出てきた。ネット漫画の黎明(れいめい)期を牽引(けんいん)した人だと思いますが、本人は“そんなことないですよ”と謙遜しています」(同)

 すでに清野の両親には壇蜜と一緒に結婚の報告をすませたそう。清野の実家で、仕事から帰ってきた母親に話を聞いた。

──結婚おめでとうございます

ありがとうございます

──壇蜜さんの印象は?

ごめんなさい、お話しできることがなくて

──結婚は喜ばれている?

そうですね。ただ、コメントは控えさせてください。何もお話しできなくてごめんなさい。失礼します

 そう話し、自宅に入っていった。

 近隣の住民は、

お父さんはタクシーの運転手さんでしたが、すでに定年したの。お母さんは小学校の教員だったかな。今は、別のお仕事をされているみたい。いつも朝、リュックを背負って出かけるのを見かけます。あいさつすると“おはようございます”と気さくに返事してくれますよ

 と家族の印象を語り、清野にとって漫画家になるきっかけを与えてくれた伯父にも話が及んだ。