時効廃止で新たな希望

 事件発生後、残された家族3人は、ママさんバレー仲間の家に1週間宿泊させてもらった。自宅が焼けてしまったためだ。その後は、付近にアパートを借りて過ごしたが、幸子さんはショックから立ち直れず、病院のカウンセリングへ通った。

 自宅で発生した未解決事件の場合、現場保存の観点から、自宅をそのまま残す遺族も少なくない。賢二さんも、当初はそうする予定だった。

「犯人が捕まったら、あそこへ連れて行こうと思って残すつもりでした。でも火事で焼け落ちて雨ざらし。老朽化も激しくなるので、1年半後に泣く泣く取り壊しました」

 その費用100万円は自己負担で、しばらく更地の状態が続いた。

 転機が訪れたのは、時効まで1年後に迫っていた2010年春。殺人など凶悪犯罪の公訴時効の廃止や延長を盛り込んだ改正刑事訴訟法が成立したためだ。賢二さんが会長を務める殺人事件被害者遺族の会「宙の会」(事務局・東京都千代田区)が、署名活動やメディアに訴えた結果だった。

「世の中の盛り上がりを感じました。われわれの組織以上の力がはたらいた。世間のみなさんに感謝しなくてはいけない。何か社会に還元できないかと、現場の土地を提供するに至りました」

 こうして消防団の格納庫、順子地蔵が建立された。花壇も作られたため、現場に足を運べなかった幸子さんも、花に水をあげる楽しみができた。幸子さんは今も毎朝晩、自分たちが食べるのと同じ食事を仏壇にお供えする。

「時効が撤廃されたことで、われわれ被害者遺族が犯人逮捕への夢を持ち続けることができた。未解決だけど、いつか必ず犯人が特定される日がくると確信しています。その日まで絶対、犯人逮捕という夢は捨てずに、これからも生きていきます」

 そう語る賢二さんの目は、決意に満ちていた。

(取材・文/水谷竹秀)


【PROFILE】
水谷竹秀(みずたに・たけひで) ◎ノンフィクションライター。1975年三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業。カメラマンや新聞記者を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞受賞。近著に『だから、居場所が欲しかった。 バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社文庫)など。

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