小学生の頃から「いずれはオリンピックに」
しかしながら、大学時代に箱根駅伝を念頭に置き、速いペースで20キロという距離を走る練習の積み重ねが、今の自分につながっていると分析する。
そもそも、オリンピックを意識したのはいつのこと?
「'04年のアテネ五輪で、地元・三重県出身の野口みずきさんが金メダルをとられて。当時、まだ小学6年生だったのではっきりとは覚えてないんですけど、周りがすごく盛り上がっていたのは記憶していて。“オリンピックにいずれは行きたいな”と子ども心に思いました」
'20年の五輪の開催が東京に決まったのは、大学3年のとき。大八木監督に“駒澤大からはまだ五輪のマラソン選手が出ていない。一緒に目指さないか”と声をかけられた。
「とてもうれしかったです。僕自身の可能性を信じ、一緒にやろうと言ってくれる指導者がいることは、とても幸せ。信じてやっていこうと思いました」
五輪への夢は、リアルな目標へと変わった。富士通に入社したのちも、練習拠点は駒澤大に置いた。大八木監督の指導を受け始め9年目、ついに五輪の代表権をつかみとり、“男だろ!”の檄で有名な闘将を男泣きさせた。
「目標は表彰台です。今は、そこまでプレッシャーを感じてはいません。精神面のコントロールは得意なほうですし、楽しみにすることができています。残りの時間、悔いのないように準備して、100%の状態でスタート地点に立ち、最高の走りができればと思っています」
誠実でまじめな人柄がひしひしと伝わってくる。好きな食べ物は、焼き肉。そして好きな芸能人は、
「……有村架純さん」
顔を赤らめながら、恥ずかしそうに答えてくれました!
【PROFILE】
富士通 陸上競技部(駒澤大OB) 中村匠吾選手 ◎なかむらしょうご。三重県四日市市出身。上野工業高校から駒澤大学へ。箱根駅伝では、2年時は3区3位(総合3位)、3年時は1区2位(総合2位)、4年時は1区区間賞(総合2位)