第91回大会('15年)2区。後続をぐんぐん引き離し、初の区間賞
第91回大会('15年)2区。後続をぐんぐん引き離し、初の区間賞
【写真】きょうだいで襷をつないだ感動的場面をプレイバック!

箱根駅伝があったからマラソンに挑戦できた

 箱根駅伝への憧れは、中学生のときからあったという。1年生ながら復路のエース区間・9区を任され、区間3位。

「本当に応援の方の数が多くて。今までは見る側だったので、夢舞台だなと思いながら走りましたね」

 2年時('14年)は2区に抜擢され、区間3位。

何より総合優勝できたことがいちばんうれしかった。4年間の中で、このときだけなので」

 3年時('15年)は初の区間賞を2区で獲得。

「設楽悠太さん(東洋大卒/Honda)&啓太さん(東洋大卒/日立物流)が卒業して弱くなったと言われたらいけないと、奮起した年でした」

 4年時('16年)は、2区で2年連続区間賞。かつ、歴代5位のタイムをたたき出す。また弟・弾馬さん(東洋大卒/トーエネック)への襷リレーも話題になった。

「前年に区間賞をとっているので、プレッシャーとの戦いでした。今、改めて振り返ると、自分の力以上のものを発揮できるのが箱根駅伝だったと思います」

 その一方、大学3年でマラソンへの挑戦を始める。その前年に東京での五輪開催が決まっていたが、当時は駅伝とマラソンを両立する大学生はほぼ皆無。

箱根駅伝を走るという幼いころからの夢が1年生で叶った。“じゃあ、次は何を目指そう?”と思ったときに、もっと長い距離で、世界を舞台に戦いたいと思ったんです。マラソンに自然と挑戦できたのは、箱根駅伝があったからだと思います」

 大学4年で初マラソン。しかし12位だった。

「思い描いていたマラソンとはまったく異なるレースでした。想像以上に厳しい競技だと思い知りました」 

 トヨタ自動車に入社し、2回目のマラソンでも結果が出ない。順調そのものだった競技人生は、初めてトンネルに入る。

「ケガもして、どうやってマラソンに取り組んだらいいのかまったくわからなくなってしまった。(MGC出場権を獲得した)福岡国際マラソンまでの約2年はつらかったですね。でも、自分の課題に向き合い、長い時間ずっとやってきたことが間違いじゃなかったことを、優勝という形で証明できた。本当にうれしかったし、MGCへの自信につながりました