《アルコール依存症のケース》 堺晴彦さん(仮名=60代)
女尊男卑と長男のプレッシャーから逃れるために
「あんたにはもう冷めきった! やり切った!」
妻からそう宣告されて、堺晴彦さんはおののいた。たった半月前まで、妻はかいがいしく世話を焼いてくれたのに、いまや見たこともないような冷たい顔で突き放す。同居する父の部屋から金をくすねて酒を買う毎日は、誰からも相手にされず、どこにも行く当てがなかった。酒、やめなきゃな──、そう決意した。およそ20年前のことだ。
堺さんが初めてアルコールを飲んだのは17歳のとき。親友のバイト先の飲食店で、客にすすめられるまま酒を飲み干していると「顔色ひとつ変えない。強いね」と感心された。そのとき、これさえあれば! と思ったのをよく覚えている。
「本当の僕は気が小さくて心配性。神経がこまかいし不安も強いタイプなんです。当時、付き合っていた彼女とうまくいかず悩んでいたんだけど、酒を飲めば気が大きくなって、物事がいいほうへ進むような錯覚を起こす。でも、酔いがさめると彼女との関係は相変わらず。どうにもできない自分と向き合わなきゃならない。そういう自分が許せない。責めたくなって、つらくなる。そんなとき、さらに酒を飲みたくなったんです」
自分を責める気持ちと男性ゆえの罪悪感に、堺さんは長年苦しめられてきた。
堺さんが3歳のときに亡くなった祖父は、男尊女卑が激しく「女だから」という理由で母親を虐げるのが日常だった。些細なことで怒鳴り散らし、包丁を突きつけることもあった。
そんな祖父が亡くなると、母親が募らせた積年のうらみは「男である」という理由から、4人きょうだいの末っ子で唯一の男性である、堺さんに向けられた。
「男は汚い、醜いと言って平手で打つ。布団叩きで叩く。おねしょをすると、お線香を陰部に押しつけるまねをする。子ども心に半端じゃない恐怖だった」
その一方で母親は、自身が思う「理想の男性」の役割も堺さんに求めていた。
「これからの男は女がやることもできなきゃダメ。それが母の口癖でした。でも、母のいちばんの望みは、堺家の土地・家屋・墓を長男である僕に継がせること。異常なほど執着していて、幼いころからそう言い聞かせてきたんです」
だからこそ仕事が軌道に乗り、フリーランスのグラフィック・デザイナーとして年収が1000万円を超えたとき、「人生に勝った」と思ったという。
「俺は勝った! これで絶対に家を継げる! と。それが人生の究極目標だと思い込まされてきました。大きな勘違いだったと気づくのは、酒をやめて治療につながったあとでしたが」
ときはバブル真っ盛り。残業は月に平均200時間から下回ることはなかった。真夜中まで働き、得意先と飲みながらの打ち合わせを終えると、家に戻って明け方まで再び仕事を続ける。仮眠をとって、また夜中まで働いての繰り返し。
「完全なワーカホリック。でも、それが問題視されるような時代じゃなかった。年収はどんどん増えていき、酒量もどんどん増していく。これで家族を食わせているんだという自負もあった」