2020年元旦に発表された「西武そごう」の新聞一面広告でも話題を呼び、今や“国民的人気力士”と呼んでさしつかえない存在となった幕内・炎鵬(25)。168センチ、99キロの幕内いち小さな身体を自らハンデととらえず、大きな関取たちへ果敢に向かっていく炎鵬は、この時代にあるべくして登場した人なんだと、あの広告で改めて思わされた。
多くの人が希望を抱きづらい時代に、胸の中に小さく灯(とも)る希望を炎鵬に託す。やがてその炎が大きく燃え上がることを祈って――そういう、時代が呼んだスターなんだと思う。
“遠藤先生”への恩返し
そんな大きな期待を小さな身体に背負わせては申し訳ないが、しかし、炎鵬はプレッシャーとは無縁に(見えて)、初場所も生き生きとしたおもしろい相撲で、勝っても負けても楽しませてくれた。特に19日の対・遠藤戦には感動。相撲を見て感動することは相撲ファンならよくあることだけれど、これには特筆して心底揺さぶられた。
炎鵬自身、「何も覚えてない」と後から語っていたそうだが、ゾーンに入ったような、ひたすらがむしゃらに、あきらめない無心の相撲に、炎鵬すごい! とテレビに向かって叫んでしまった。
しかしこの取組には、ここに至るまでの同郷(石川県出身で同じ中学、高校出身)の2人の、浅からぬ縁があった。
「炎鵬関が遠藤関に勝ったのには感動しました。遠藤関が大学4年のとき、金沢学院高校に教育実習に来たんです。“遠藤先生”は2週間みっちり、石川県のインターハイ予選を目指す当時の中村友哉君、今の炎鵬関を指導しました。結果、個人優勝したんです。そして角界入りし、初対戦で勝って『恩返し』したんですね。相撲の世界では、かつての恩師や先輩に勝つことを、そう言います。中村君が県大会で優勝したとき、周りの子たちみんなが『遠藤先生に電話しろ!』と叫んでいたのを思い出します。遠藤先生は中村君をどう迎えていいのか、困惑したのかもしれませんね」
そう教えてくれたのは、炎鵬を幼いころから趣味のカメラを片手に見守る、地元・金沢在住の松本庄朗さん。実は松本さんのみならず、地元の多くの人に見守られて育ってきたと、炎鵬のお母さん、中村由美子さんは言う。
「私が常々言っているのは、友哉はみんなに育ててもらっているということです。親も含めて、誰だっていい時期ばかりじゃありません。父親が単身赴任でいないときもありました。いつも、ほかの子のお父さんがカブトムシ捕りとか魚釣りに連れて行ってくれたり、『友哉、貸して~』って言われて、一緒に遊びに連れて行ってもらったこともたくさんあります。
子どもたちが相撲を続けてこれたのも、周りの人たちのおかげです。最初、地元の神社の相撲大会に友哉の2歳上のお兄ちゃんの文哉が出たときに、友哉みたいな身体の小さな子が泣きながら大きな相手に向かっているのを、お母さんも周りの人たちも『頑張れ!』と応援している光景に、グッとくるものがありました。
その後、相撲道場の当時の先生に『練習したら強くなれるぞ』と言われ、まず文哉が相撲を始めて、それにくっついて行った友哉も始めたんです。すぐに辞めてしまう子もいますが、通っていた『押野相撲道場』では、うちの子たちをみなさんが可愛がってくれ、私自身にもいろいろな出会いがあって、交流が生まれたことも大きかった。相撲をする子どもたちがいて、それを取り巻く家族の形がみんなそれぞれにあって、それに助けられたんです」