環境のせいにしても状況は変わらない

高校生になると、見た目を派手にして不良の道へ
高校生になると、見た目を派手にして不良の道へ
【写真】金髪に細眉げ、不良スタイルの安田さん

 このころ、父が再婚したため、祖父母の家を出て一緒に暮らすようになる。しかし、継母とも折り合わず、自活しようとアルバイトを始めたが、ここでも人間関係がうまくいかずにバイト先を転々とした。

 どこにも見つからない自分の居場所。幸せになりたい。ただそれだけなのに、なぜその願いすら叶わないのか─。僕は何も悪くないのに、生まれ育った環境のせいでこんなことになるなんて……。次第に自分が生きている意味すら見いだせなくなっていたという。

「でもある日、ふと思ったんです。環境のせいにしていても、状況は何も変わらないのではないか、と。ここから抜け出すにはどうすればいいのか必死に考え、出た結論は大学に進学することでした」

 大学受験を志したものの、その道は平坦ではなかった。父に頼み込んで予備校の学費は出してもらったが、肝心の授業の内容がまったくわからない。

「みんなの前で当てられて恥をかいたらどうしようと不安になり、授業どころではありませんでした」

 当時の安田さんの学力は中学前半レベルだったそうだが、毎日13時間の猛勉強を重ね、2浪目でICU(国際基督教大学)に合格を果たす。

「それまで僕は、自分を何の努力もできないクズのように思っていました。でも、頑張れば過去の自分との変化は必ず生まれる。受験によって、自分を少し認められるようになったのかもしれません」

 ICUは、国際色豊かなことで知られる大学だ。同級生には、高校時代に留学を経験した人も多く、ナメられてはいけないと必死だった。

「驚いたのが、同級生がバイトをしたことがない人ばかりだったこと。また、上京してひとり暮らししていた子が“ホームシックで寂しい”と言っているのを聞いて、“甘えているんじゃないよ”と内心イライラしたこともありました。いま思えば、それぞれ僕が知らない事情を抱えていたかもしれない。でも、そのときの僕は自分にはないものを持っている人が恵まれているように感じ、うらやましくてしかたなかったんです」

 しかし、突っ張っていた安田さんに対して同級生は、勉強を教えてくれるなど温かく親切だった。同級生のやさしさに触れ、次第に安田さんのトゲは抜けていったという。

 大学では自分の進むべき道も見つけた。国際支援に興味を持ち、『日本・イスラエル・パレスチナ学生会議』という団体で、紛争が続くイスラエルとパレスチナの学生を招致して会議を開催したのだ。

「会議で激論を戦わせた末、帰国の際、イスラエルとパレスチナの学生が抱き合って泣いているのを見て、生まれて初めてうれし涙を流しました。自分にも生きている意味があった。世界に必要とされる人間になりたいと感じたんです」