発達障害の苦しみとうつ病発症
大学を休学し、東欧の研究機関でインターンとして働いたり、世界最貧国といわれたバングラデシュに赴き、娼婦街で暮らす女性たちの生活についてドキュメンタリー映画を作るための取材もした。
「娼婦街には、夫の暴力に耐えかねて家を飛び出して働く女性や、客と恋をして裏切られた女性もいました。彼女たちの共通点は尊厳を傷つけられ、自己肯定感を失っていたこと。その姿に僕は、自分を肯定できなかった過去を重ねあわせ、“尊厳を傷つけられた人が何度でもやり直せる社会をつくりたい”と考えるようになっていったんです」
そのために今の自分には何ができるのか。思い悩んでいるうちに就職活動の時期が訪れ、迷いながらも就活を始める。
「一般企業に就職してしまっていいのかという思いはありました。でも、大学に入り、友人を得て僕は幸せをつかみかけていた。ちゃんとした会社に入れば、昔の生活に戻ることはない。そんな気持ちもどこかにあったんです」
こうして、誰もが知る総合商社の内定を勝ち取る。順風満帆に思えた社会人のスタートだったが、思いもよらぬ出来事が彼を襲うのだった。
新入社員の安田さんが配属されたのは、中東やアフリカの油田権益に投資をする部署だった。
与えられた仕事は毎日決まったレポートを提出し、油田埋蔵量の計算をすること。来る日も同じ作業を繰り返し、気づけば月曜日が来るのが憂鬱になっていた。大学時代からの友人である細見建輔さん(33)が振り返る。
「彼は、理想と現実のギャップに苦しんでいました。“自分のやっている仕事には何か意味があるのだろうか”“社会的に意味のある仕事をしなければ”と、ずっと悩んでいたんです」
また、発達障害の特性は、社会人になっても安田さんを苦しめる一因になっていた。
「僕は、発達障害による感覚過敏で革靴が苦手で、はいていると足がムズムズして集中できなくなってしまう。そのときは、まだ診断を受けていなかったので、理由がわからずつらかったですね。
空気を読めないのも相変わらずで、上司に向かって“資源は、アフリカ紛争の多くの原因になっていますが、どう思いますか”と聞いたり。このまま会社にいたら、やり直せる社会をつくりたいと願った過去の自分にうそをつくのではないか。そんな気がしてきたんです」
入社から4か月後、突然、職場で冷や汗が止まらず、顔が真っ白になった。パニック障害を起こしたのだ。病院で医師から告げられたのは、「うつ病です」という言葉─。
「それまで僕は、うつ病は心の弱い人がなる病気だと思い込んでいたんです。過酷な家庭環境にも屈せず道を切り拓き、プレッシャーに強いと思っていた自分が、うつ病になるなんて……。人生が終わったかのように感じました」