ひきこもり生活からの脱出
休職し、自宅のマンションで眠るように過ごす毎日。大量の薬による副作用で頭がぼーっとして、幻覚を見たこともあるという。夕方に起きて、だらだらとゲームやテレビを見るだけの生活が続き、食欲も衰え、体重は40キロ台まで落ちた。
「この時期のことは、正直よく覚えていないんです。記憶から消したいぐらいつらかったのかもしれません。とにかく人に会いたくなかった。生活費すら稼げない自分が情けなくて、社会に対して引け目を感じていたのだと思います。マンション11階の部屋から飛び降りる姿をイメージしたこともありました」
前出の友人・細見さんは、仕事の合間を縫って何度か安田さんの自宅を訪れていたという。
「そんな状態の中でも、彼は“自分が社会に対してできることは何か”を愚直に問い続け、理想どおりにできないことに焦っているようでした。その姿があまりにも心配で焼き肉をおごりましたが、彼にごちそうしたのは、後にも先にもこのときだけです」
1年間のひきこもり生活を経て、退職。元気がある日は、リハビリを兼ねて知人が経営する塾を手伝ったり、個人的に英語の家庭教師をするようになった。次第に、安田さんは次の一歩を踏み出そうと決意するようになる。
「いちばん強く感じていたのが、“自分が正しいと信じられることをしたい”ということ。さらに、自分に合った環境で働くには起業するしかない。会社を4か月でドロップアウトした僕に何の事業ができるのか。思いついたのが、過去の自分と同じような境遇の子どもや若者を支えるための塾をつくることだったんです」
さっそくビジネスプランを練り、塾開設の準備を進めた。教室となったのは、都内・巣鴨駅徒歩20分、築50年の古いアパート。友人とシェアし、家賃は月3万円だったという。
しかし、事業がすぐ軌道に乗ったわけではない。生徒がまったく来なかったのだ。
「それなのに、銀行口座の残高はどんどん減っていく。毎日が不安でいっぱいでした」
ホームページを作り、マスコミに取材依頼の電話をするなど地道な努力が実って、初めての生徒が入塾したのは、起業から1年ほどたったときだったという。
現在、株式会社キズキの取締役を務める仁枝幹太さん(30)は、創業期から会社を支えてきた。大学時代にインターンとしてキズキで働き始めた仁枝さんが当時の安田さんの印象を明かす。
「経営が軌道に乗るまでは余裕がなかったのだと思います。あのころの安田さんは、いつも目が血走っていて、僕らスタッフに対して怒鳴ったりすることもありました」