『週刊文春』によって報じられた鈴木杏樹と俳優の喜多村緑郎の不倫。喜多村には'13年から結婚している元宝塚のトップスターの妻・貴城けいがいたのだ。
先日報じられた「東出昌大・唐田えりか」の不倫があれだけ世間のひんしゅくを買い、彼にいたっては今もマスコミに追われ“車中泊”を余儀なくされているというのに、よくやったな……。今回も瞬く間にネットニュースで拡散されたわけだが、同じ不倫であるにも関わらず、コメント欄が「東出・唐田」の件とは異なる反応をみせているのが興味深い。
《ええー。鈴木杏樹好きだったのにこれは残念に感じる。可憐で清楚なイメージが台無し。いい大人なんだから分別を持って踏みとどまって欲しかった、少なくとも相手が結婚しているならば》
《そんなイメージ無かったなぁ ま、あくまでもイメージはイメージでしか
ないけど。旦那さん病気でなくして辛い目にあったのに。ちょっと残念…》
全体の傾向として目立ったのは「叩く」よりも「ショック」といった論調の多さだ。'13年に外科医の夫にがんで先立たれたという同情すべき点もあるだろうが、まず、あまりにも彼女のイメージ=不倫に結びつかないために、非難する気持ちよりも驚きのほうが勝っているようにみえる。しかし、年齢が50代に差し掛かったにもかかわらず“可憐で清楚”とはこれいかに──。
「杏樹さま」のまま令和に突入
その“イメージ”が今も保たれている理由のひとつに、鈴木は'13年以降、私生活を報じられることがなかった背景があげられると思う。つまり「世間的イメージがほぼアップデートされずに不倫発覚を迎えた」のだ。'14年以降はほぼ、「『相棒』に出てくる小料理屋の女将役、続投のワケ」や、「『相棒』に出てくる小料理屋の女将役、やっぱり降板のワケ」といったように“女将な側面”以外はほとんど取り上げられることがなかった。
そして何より、“さらにそれ以前”の彼女の報じられ方が、びっくりするほど“可憐で清楚”だったのである。結婚をした'98年に『女性自身』は独占手記というかたちをとって、《まだ結婚したばかりですから、夢は広がるばかり。彼はお財布を預けてくれると言ってくれていますから、さて、それでどんなお料理を作ってあげようかとか、部屋の模様替えは、どのようにしようかとか──》といった“品行方正すぎる”筆致の文を掲載。これで好感を持たないヤツはおらんやろぉ、である。
なにも女性週刊誌だけでない。今回《鈴木杏樹 禁断愛》と打った張本人である『文春』も過去の記事が衝撃的であった。タイトルからしてもうヤバい。
《われらがアイドル 鈴木杏樹さまにゴミを捨てさせる中谷彰宏は何サマだ》('95年4月20日号)
独断で「われらが」とくくったうえで「さま」呼びしているお前こそ誰なんだ。記事の内容はというと、当時、中谷の自宅にお泊まりした鈴木が翌朝になって「ひとりでゴミ捨てに降りてきた」という『女性自身』の報道を受け、憤慨しているというもの。タイトルに負けじと本文もかなりハードで、
《だいたい、生ゴミなんてものは、我々サラリーマンの場合、朝の出がけに「あんた、ちょっとゴミ捨ててってよ」とミョーに嵩張るゴミ袋を古女房から手渡され、自分で捨てに行くものと相場は決まっているのだ。それをあの杏樹さまに……》
《朝のゴミ捨てをさせているくらいだから、ひょっとしたら掃除ぐらいさせているかもしれない。もしかして料理なんかも作らせちゃってるんじゃないか。(中略) よもやパンツを洗わせたりはしてはいないだろうな……、などと思いは千々に乱れるのである》
もはやただの、“おっさんの妄想”である。この記事を書いた記者は、令和の時代に『文春』が不倫をすっぱ抜くと知ったら何を思うのだろうか。というか、杏樹さまへの偏愛っぷりからして、長年彼女を追い続けた彼が今回の不倫をスクープしたのか──?
とにかく、当時の鈴木杏樹に対するイメージがマスコミによって増幅され、それが特に変更・修正されないまま保存され続けて今日に至った結果が、世間に“叩き”より“驚き”の反応をとらせたのではないか。鈴木はSNSを活用しておらず、自分の意見を積極的に発信できる場といえばラジオ番組くらいなもんだったわけで(しかも今回の件で1本は降板が決定)。一般層からすれば、彼女の印象はやっぱり“可憐で清楚”なのだ。
SNSには「いまだに『あすなろ白書』のままのイメージ」といった書き込みさえみられたが、さすがにそれは時が止まりすぎだろう。
〈皿乃まる美・コラムニスト〉