虐待を受けた犬が見せた優しさ
そんなある日、チロリが地域の人の通報によって、動物愛護センターに連れていかれてしまう。
知らせを受けた大木さんは居ても立ってもいられず、タクシーに飛び乗った。
(5日間、誰も迎えに来なければガス室に送られる。とにかく急がねばならない)
しかし、チロリが連れ去られてからすでに4日が経過していた。非情にも大木さんが愛護センターに到着したときには閉館しており、建物に人がいる様子はない。あたりが暗くなる中で大木さんは、建物の玄関に何十枚も紙を貼りまくった。
[愛犬がこの犬舎の中にいます。明朝必ず引き取りにきます。殺さないでください]
翌朝、オリにいた犬たちの中から、やっとのことで耳の垂れたチロリを見つけて抱き上げた。
「あのとき、チロリを連れて帰る私の背中に、収容室に残された犬たちの鳴き声が聞こえてきました。“ごめんな、この子しか救えないんだ”そうつぶやくしかありませんでした」
大木さんは当時、日本でセラピードッグの育成を始めていた。自宅の犬舎にはセラピードッグ候補のハスキー犬が数頭いたため、チロリもそこで生活することになった。
ようやくなじんできたころ、訓練していたハスキー犬ががんに侵されてしまう。その犬に寄り添うように歩き、一生懸命なめて励まそうとしていたのはチロリだった。
「その姿を見て、あぁこういうやさしい性格をしているんだと気づいた。これはセラピードッグになれるかもしれないと思いましたね。セラピードッグは弱っている人たちを助ける仕事ですから」
アメリカでも雑種、それも捨て犬がセラピードッグになった例は聞いたことがない。それでも大木さんは直感を信じ、独自で考案したカリキュラムをチロリに教えた。
「最初はどうかと思いましたよ。アメリカの場合は、盲導犬はラブラドールレトリバー、警察犬はシェパードというように、純血統が多かった。DNAが連携するからね」
だが、大木さんの不安をよそにチロリは通常2年半かかるカリキュラムをわずか半年でマスターしたのだ。
「びっくりしました。おそらく、私と一緒にいれば生きていけると思ったんでしょうね。あの子がすごく利口だということではなくて、生きていくことに必死だった」
こうしてチロリは、ほかの訓練中の犬たちを抜いて、日本で第1号のセラピードッグとなった。
「もしかしたら殺処分の問題も変えられるかもしれないと思いました。第2、第3のチロリを育て、殺されるはずの捨て犬が人を助ける姿を見せれば、世の中は変わるんじゃないかと─」