4年間で卒業し、大学院進学を考えた。そして、東京大学の大学院に合格するのである。はたから見れば見事なリベンジなのに、彼自身の気持ちは満たされていなかった。
「妙なプライドがありましたね。素直に喜んでもいいのに、なぜかどんどん自縛されていくんです。早稲田の研究室はとても居心地がよかった。だから早稲田の大学院に行ってもよかったはずなんだけど、やはり東大にとらわれてしまった。自分にとってよかったかどうか……」
東大大学院は世間的価値観からみれば、ある意味で最上級だ。だが、それが本当に自分の望んだことなのか、これでよかったのかと彼は考え始めてしまう。東大にとらわれたのは、自己責任なのか、幼少期の親子関係に起因するのかは彼にもわからないという。ただ、子どものころ「普通」からはずれていた記憶は、彼にとって強烈だったのだろう。だから「世間」への強迫観念が強まり、東大にこだわり、いつしか自分を追い込んでいったのかもしれない。
就職活動の末、大企業の内定をもらうが…
修士課程の2年間、彼は頑張った。そして2007年6月、就職活動の末に大企業の内定をもらう。あとは論文を書けば卒業できる見通しが立ったところで、指導教官に2週間ほど休むと告げた。
「それきり大学院に行けなくなってしまったんです。自分でもヤバイと思っているけど身体が動かない。1か月もすると、取り残されてしまうという焦燥感にかられました」
大学院の同僚や先輩が心配して来てくれたのだが、彼はそのことにショックを受けた。「心配される」ことをありがたいと受け止める人も多いだろうが、彼の場合、心配されているという事実、そして心配されている自分自身を受け入れることができなかったのかもしれない。大学院の人間関係は彼にとっては距離感が近すぎたのだろうか。
翌年2月には留年が決定、就職内定は辞退した。以来、大学院を中退、再入学、休学と目まぐるしく出入りし、6年半後についに中退するのだ。
「その間、行くべきところに行けない自分はダメだという思いがどんどん強くなっていきました。ほかの人とした会話を延々と思い出して、“どうしてあんなことを言ってしまったんだろう”“どうすればよかったんだろう”といつまでもシミュレーションを繰り返して眠れなくなるんです。本当に“いつまでも”続くから心身ともにつらいんです」
唯一できたことは、院生になったときから週に3、4回続けてきた塾講師のアルバイトだ。同僚や生徒との人間関係の距離感も、大学院と比べて近すぎないため、彼にとっては心地よかったのだという。
「教えるのが大好きだったし、仕事というより趣味に近いような感じで続けていたんです。ただ、中退後は仕送りもなくなっていたので生活費を稼ぐことも重要でした」
当時の彼は15時ごろ起床、自己臭恐怖もあったため念入りにシャワーを浴びて夕方から塾へ。6〜7時間仕事をし、帰宅してベッドに入るのは午前0時ごろ。だが、そこから朝6時7時になるまで、過去の人間関係を思い出して悶々とする日々だった。
「通常の後悔とか反省とは明らかに違う。病的でしたね」