完全にひきこもり、所持金500円
肉体的にも精神的にも疲弊していき、とうとう塾にも行かれなくなった。母親は理解を示し、戻ってくるようにと言ったが、彼は実家に戻るつもりはなかった。それから8か月ほど、完全にひきこもる。ついに所持金が500円になったこともある。
「国民健康保険代も払えなくて、保健所や役所で相談したけどなかなからちがあかない。百均に行って、メロンパンとカフェオレを1つずつ買って1日をしのいだこともありました。生活保護を受ける手立ても考えた。最後には親に電話して20万円ほど貸してほしいと頼みました」
父親も彼の異変を悟ったのだろう。すぐにお金を振り込んでくれた。
「お金のあるなしは精神状態に直結しますね。本当にお金のありがたみがわかった」
あとからわかったことだが、両親は彼が大学院を辞めてから非常に心配していた。50万円ほど用意し、息子が助けを求めてきたらすぐにアクションをとると決めていた。
「このときは素直に感謝しました。学費などで1200万円くらい使わせてしまったのは申し訳なく思っています。親を見る目は年々、変わっています。子どものころ社会性をもたせてくれなかったのは僕にとってマイナスに働いたけど、結局、最後に助けてくれたのは親でもあるわけで……」
親としては“手のかからないいい子”だった次男が、どうしてこんなことになったのかと不可解だったかもしれない。だが彼には「手がかからなかったのではない、手をかけなかったのだ」という気持ちもあった。そこに微妙な親子の気持ちの齟齬(そご)がある。
後になって、母自身が強迫性障害だったことを聞かされた。母は貧乏な家に育ち、祖母は毎日、母を背負って工事現場で働いていた。そのとき出入りする車や土砂の轟音に恐怖感を抱き、それがトラウマになっていたようだ。
“心の傷”を明かしてくれた母の姿を見て、金子さんは母が自分を理解しようとしてくれているのだと察したという。
10年ぶりに人と話して楽しいと思えた
何とか外へ出ようと決意した彼は、2013年12月、ネットで知ったイベント「ひきこもりフューチャーセッション 庵」を初めて訪れた。精神的に追い込まれて焦っていたとき、ひきこもりについて長年取材を続け、庵とも関係の深いジャーナリスト・池上正樹さんの記事を読み、衝動的にメールを送って会場へ赴いたのだ。潜在的に助けを求める気持ちが強くなっていたのかもしれない。
「僕は自分がひきこもりだとは思っていなかったんですよ。だから庵の会場の扉をなかなか開けることができませんでした。ここを開けて中に入ったら、自分が“本物のひきこもり”になると感じて」
意を決して中に入ると、池上さんが案内してくれた。そこにはたくさんの男女がいた。話をしてみると、違和感なく溶け込むことができた。
「10年ぶりくらいに、人と話して楽しいと思えました。ひきこもりであるかどうかはどうでもいい。僕にとっていい転換点になりました」