大相撲春場所の無観客開催が始まった初日の8日、さっそく朝8時40分の開始から見た。
正直、無観客場所には期待はしていなかった。大相撲はスポーツであり興行であり神事である。そのひとつでも欠けたらバランスが崩れて成立しないんじゃないか? と思い、半信半疑の気持ちで見始めた。ところが、大いに感動し、涙まで流して見入ってしまったのだ。
神秘的な横綱土俵入り
無観客場所はいつもどおりに拍子木が打たれ、審判の親方たちが入場し、序ノ口の取組から素っ気なく始まった。考えたらピラミッド社会の大相撲、いちばん下の序ノ口、次の序二段、その上の三段目あたりまで、普段から観客は少ない。開始すぐの序ノ口のころなんて、観客はいつもだいたい30~40人いるかいないかくらいだ。
それでも8日、カメラが会場全体を映すと、本当に誰もいない。閑散たるさまは異様で、同時に不思議な感覚にもなる。時空を超えた異世界で開かれている相撲……なる妄想が浮かぶ。観客が入ることを想定した升席、椅子席には、私たちには見えない誰かが座っていそうな気までしてきた。
肝心のおすもうさんたちは? というと、そんな妄想とは無関係……いや、でも、時空を超えた、という点において、現役力士の最高齢、今年5月で50歳になる序二段、華吹(はなかぜ)が審判である友綱親方(45歳)の隣に座って取組を待つ姿には、そこだけ時空を超えているように見えた。ちなみに華吹はそんきょの姿勢もうまくとれないほどひざが悪そうなのに、勝っていた。相撲は取ってみないとわからない。
ガ然、面白さが増したのは午後1時過ぎ、幕下が始まったころ。幕下の相撲はいつも面白いのだが、無観客でも集中力を高めて気合をより一層込めて戦う、ネクスト関取を目指す幕下のおすもうさんたちの情熱に胸打たれた。
そしていよいよ関取たちの登場、十両土俵入りだったが、これが実にシュール。観客が誰もいない中、花道を並んで十両力士たちが入場し、順番に四股名(しこな)を読み上げられ土俵に上がる。そして一連の所作。何やら卒業式の予行練習をする人たちのようでもあり、圧倒的に何か欠けてる感にあふれていて、切なくなった。
それはそのまま幕内土俵入りでも同じで、「炎鵬!」とか「照強!」とテレビ画面に向かって叫び、ツイートなどしつつも、なんだか涙が出てきそうな寂しさを感じた。それでも相撲協会が「#春場所」「#楽しみにしていた気持ちよ届け!」というハッシュタグキャンペーンをツイッターで始めていたので、応援する気持ちで何度もツイートをした。
逆に、横綱土俵入りは静寂が神秘性を演出し、厳粛な儀式としてこれまでとは違う雰囲気を楽しめた。柏手(かしわで)を打ち、低い姿勢からせりあがる所作ひとつひとつ、2人の横綱はいつも以上に気持ちを込めて行っているのが伝わった。息遣いや、実は普段も言っているという行司の「しー」という辺りを静めるためという声も聞こえ、神事としての相撲の一面を堪能した。