三木 当時は本当にどん底だった。もう一生、脚本は書けないかと、腹を括(くく)ったよ。それが57歳くらいだったから、思い起こせば、50代は本当にいろんなことがあった。
原田 脳腫瘍に『独眼竜政宗』の大ヒット、泥沼離婚……。人生の山場が全部50代に集約されてますね。
三木 泥沼離婚の渦中で、業界に干されていた僕に、NHKの川口幹夫会長(当時)が『八代将軍吉宗』の脚本を依頼してくれたんだ。でも、当初は「人間性に問題がある人に脚本を担当させるな」という抗議もたくさんあったとか。
それでも、川口会長は「今回の件は、刑事事件ではなく、家庭の事情。ジェームス三木さんには脚本家として期待しています」と励ましてくれたんだよ。
原田 男気がありますね! すごくカッコいい。
女性は低い声の男にしびれるんだな
原田 先生はもともと、歌手をしていたんですよね。
三木 俳優座に入って役者を目指していたこともあるけど、アルバイトが忙しくて落第したからあきらめたんだ。20歳のときにテイチクレコードの歌手コンクールで合格して、13年間、歌手をしてた。ディック・ミネさんの前座をしたり、横浜のナイトクラブで歌ったりして生活をしていたけど、鳴かず飛ばずだったね。
でもね、原田くん、歌手はすごく女にモテるんだよ。
原田 またいきなりですね!
三木 歌手としては売れなかったけど、出待ちの女の子はたくさんいてね。女性は低い男の声にしびれるんだな。原田くんは声も低いし男前だから、スキャンダルがあっても、女性が誘いにくるんじゃないか?
原田 いやいや、もう誰も寄ってこないですよ(笑)。
三木 そうかい。あんまりまじめになるとつまらん男になるから、気をつけるんだよ。
原田 アハハ(苦笑)。歌手時代、先生はどんな歌をうたっていたんですか?
三木 英語の歌や、楽器が弾ける友達と『前科二犯のブルース』っていういい曲を作ってたね。(歌う三木)
原田 すごい……! 先生の歌を聴いて失神した女性もいたんじゃないですか?
三木 歌手時代はモテたけど、失神はしてなかったなあ(笑)。30代に入って限界を感じて、ほかのことをやろうと『月刊シナリオ』のコンクールに応募したんだ。それで『アダムの星』という作品が入選したのが転機だな。その後は、わりとトントン拍子に脚本家になったかもしれない。
原田 俳優、歌手、脚本や小説……と、さまざまな芸術に携わってきたんですね。