パラリンピック選手のサポート
それからは、仕事と練習を両立。臼井さんとともに走りやすさを追求して義足の改良を重ねた。
「臼井さんは、私の意見を絶対に否定しないんです。そのうえで、さらにこうしてみるよと、工夫を加えてくれる。このさりげない配慮が、すごくありがたかったです」
まさに二人三脚で、8年後、リオで念願の日本代表(100メートル・走り幅跳び)に選ばれたわけだ。
「あの大きな舞台で、のびのびと走れたのは、臼井さんの存在も大きかったですね。選手村では毎晩のように話をしたり。場内でも臼井さん、私を使って海外の義足の選手の写真を撮ろうとするんです。『瞳ちゃん、一緒に撮ってあげるよ』って親切なふりして(笑)。本当は義足の研究が目的なのに。臼井さんがふだんどおりだから、私たち選手も緊張がやわらいだんですね」
2000年のシドニーから、毎回選手に同行している臼井さんは、パラリンピック特有の雰囲気が、選手を萎縮させることを知っていた。
「初出場の選手は特に、雰囲気に圧倒されて、飲まれちゃう。調子が出ないと、義足のせいにしたくなることもある。そんなときは、『任せとけ』って調整したふりをして、そのまま戻しちゃう」
現地に入る前に、義足は入念に仕上げてある。あとは、気持ちの問題。だからこそ、臼井さんは選手に安心感を与えることに心を砕く。
今夏、開催予定だった東京パラリンピックは新型コロナウイルスの影響で1年程度の延期が発表された。だが、選手と向き合う臼井さんの姿勢は変わらず前向きだ。
「1年間猶予ができたなら、僕は義足のもっと新しい部品を使えるように調整して、選手のパフォーマンスレベルがより高まる義足に仕上げていきたいと思っていますよ」
来年、臼井さんの魂がこもった義足で、何人もの選手が心新たに夢舞台に立つ予定だ。
これから選考会に臨む、大西選手が言う。
「北京、ロンドン、リオと、回を重ねるごとに、パラリンピックの会場は盛り上がっています。もう福祉のパラというイメージはなく、観客は選手のパフォーマンスを心から楽しんでくださってる。開催国の選手が活躍すると、さらに盛り上がります。私も代表に選ばれたら、全力を出し切りたいと思っています」