――おすもうさんだけでも700人、裏方さんまで入れたら1000人近くいて、その方々がひとつになって同じ方向に向かって遂行するのは、考えただけでもすごいことです。
高崎親方 中日を迎えたとき(8日目)、理事長が大阪の豚まんを600個買って、全部署を自ら歩いて廻って配ったんですよ。行司、呼出し、床山、審判といった裏方はもちろん、記者クラブ、NHKやガードマンにいたるまで「中日までよく頑張ってくれてありがとう」って。
中日まで来たら、もう団結しますよね。前半の方は正直、難しいんじゃないか? ということも言ってました。だって、力士はしょっちゅう意味不明に熱出したりするの、みんな分かってますから。前の日に40度の熱を出して、次の朝36度に下がって、平気で稽古するのはザラにあります。あのころは熱=中止というのが独り歩きしてて、無理だよねって言ってたんです。冷静に考えたら熱じゃなくてコロナなんですよね。コロナ感染者が出たら中止なんですけど。でも、あのときはみんな知識がなかったから「熱だ」となると、ワッと大騒ぎになりました。
千代丸関の発熱騒動
――千代丸関の発熱のときは大騒ぎになりましたか?
高崎親方 あの日の夜、そういう話があったんですが、プロジェクト・チームでは「蜂窩織炎だろう」と聞いていました。持病の扁桃炎など、発熱原因のリストも作ってプロジェクト・チームで共有していましたが、蜂窩織炎は発熱する原因としてのリストにありましたから。それが、PCR検査を受けたと聞いて、「ええっ?」って驚いて、そのときはみんなで、「絶対にない」と思いながらも、怖かったですね。もし感染していたら、感染が発表されたのに中継してたらまずいので、私はNHKに30分でも早く報告しないとならない。その伝達方法などをNHKプロデューサーと話しました。
――おすもうさんたちへの指示は、具体的にはどんなものだったのですか?
高崎親方 検温は毎日2回して、部屋ごとにまとめて報告してもらいました。マスクをしてもらい、入口などでアルコール消毒も。基本は外出禁止です。外との接触をきって、中に入れない。稽古見学も断り、日に日に意識は高まっていきました。
――とはいえ、エネルギーのある若い子たち。外に出たくなったりもしますよね。
高崎親方 そこは上がきちんと見せることですね。師匠も出かけずに部屋に早く帰ってきて、朝も健康チェックを欠かさずされたら、きちっとせざるを得ないです。
2月、3月、いつもうちの部屋(出羽海部屋)は風邪を引いたり、新弟子なんかは環境の変化で熱を出したりするのは常なんですが、今回はそれが全くなかったですね。規則正しい生活をして、ケガの功名です。ただ、地方場所はいつも夜に“お呼ばれ”することが多いけど、今回は毎日、全員が部屋で食べるでしょう? だから途中でお米がなくなってしまい、追加で150キロ差し入れしてもらいました。