関東地区の初回視聴率は21・2%。舞台である福島県では何と35・9%をマークするなど、好スタートを切ったNKH朝ドラ『エール』。主演の窪田正孝(31)は、'14 年に放送された『マッサン』の玉山鉄二以来、6年ぶりとなる男性の主人公を務める。そんな彼が国民的俳優になるまでの足跡を追った──。
窪田正孝の学生時代を追ってみると
'64年に開催された東京五輪の『オリンピック・マーチ』など、数多くの名曲を作曲した古関裕而をモデルにした朝ドラ『エール』。窪田正孝は主人公で作曲家の古山裕一を演じている。裕一の青年期から晩年まで40年近くをひとりで演じるとあり、演技力の高さを評価されての起用だ。
「大河の主演をやりたい」
'18年に30歳を記念して発売された写真集で、“30代のうちに叶えたい夢”を聞かれ、そう語った窪田。すっかりお茶の間の顔となったが、少年時代は日が暮れるまで校庭で遊ぶ活発な性格だったようだ。
「お兄ちゃんたちが野球をやっていた影響で、小学校は6年間、少年野球をやっていましたよ。中学に入ってからはバスケットボール部に入部。小学校から始めていた部員が多くいた中で、中学から始めたにもかかわらず3年生のときにはレギュラー入りするほど、運動神経はよかったです。うまいことを自慢するタイプではなく、平和主義で優しいので、みんなから好かれていましたね」(中学の同級生)
女優の水川あさみと結婚するなどモテ男ぶりは、学生時代からだった。
「本人はモテ期はなかったと雑誌なんかで語っているようだけど、周りから見たら十分モテていた。中学の卒業式では後輩の女の子たちから制服のボタンをねだられて、全部なくなるほどの人気でした」(同・中学の同級生)
小さいころはレーサーになるのが夢だったという窪田。大好きなバイクや車に関われる整備士を目指し、工業高校の機械科に進学する。
「高校生から20歳ぐらいまで、地元の2つのガソリンスタンドでアルバイトしていましたよ」(窪田の知人)
芸能界にはまったく興味がなかった彼のデビューのきっかけは母親にすすめられて高校1年生のときに現事務所のオーディションを受けたこと。
《“何がしたい?”って聞かれたのですが、いや、何したいって言われても……みたいな感じで。事務所に入ったものの、それをリアルになんて考えていませんでした》
写真集のインタビューでは、当時をこう振り返っていた。
その後、演技レッスンの日々が続き、'06年公開の映画『ユモレスク〜逆さまの蝶〜』で俳優デビューを飾る。
「娘が同級生なので、窪田くんのバイト先に給油に行くと、“〇〇ママ、いらっしゃいませ!”と、デビューしてからも気さくなままでしたね。でも当時は芸能界のことで悩んでいたようで、表情が少し暗かったのが印象に残っています」(同・窪田の知人)
その後、若手俳優によるダンスユニット『Jamming Flow』のメンバーとして活動。『エール』初回放送では見事なダンスを披露したが、このときの経験が生かされていたのだ。しかし、ユニットは加入して1年ほどで解散してしまう。演技一本で活動していくことになった当時の心境を写真集のインタビューでこう語っていた。
《オーディションも何十回と落ち続けて、嫌な気持ちの方が強くなっていきました。それでも“逃げたくないな”という時期もあったのですが、2年ぐらいでいよいよ“もう無理かも”と思い始めて、辞めようと思ったんです》
引退を考えるようになっていたが、最後だと思って受けたオーディションで運命的な出会いをすることになる。