プロレス、養子縁組にも挑戦
「日本にいていちばん残念なのが、みんな30代でおばさんになった! 終わった! とか言うことです。100歳まで生きるんだったら、まだ3分の1じゃないって。私なんか今年50になるとこで、やっといろんなことがわかるようになったっていうのに。
50歳からでも筋トレはできるし、『ハスラーズ』のジェニファー・ロペスみたいにポールダンスだってできる。いつだって何でも始められるわけだから、終わってるってそれはあなたの問題でしょって」
LiLiCoは44歳でプロレスデビューを果たしている。プロレスも昔からやりたかった夢のひとつだった。
「女子プロレスラーの方って、セクシーな衣装着てカッコいいじゃないですか。男性を蹴ったり、投げ飛ばされたり、超楽しそうだからずっとやってみたいと思っていたんです!」
「アイアンマンヘビーメタル級選手権バトルロイヤル」でリングアナウンサーを務めた際、団体の社長に直訴し、'15年から参戦するようになる。やるからには本気で臨もうと、受け身から始め、技を学んだ。
「両国国技館が縮んだ瞬間を私は見たんですよ(笑)。みんな“どうせタレントがふざけたことするんでしょ”って斜に構えていたと思うんですけど、私が本格的なドロップキックをしたら、“えー!”って、前のめりになっていましたからね。負けましたけど、誰もバカにしませんでした。試合のたびに両足を捻挫するし、青痣だらけになるんですけど、数日たつとまた戦いたくなるんですよ。今は妊活中でちょっと控えてますけどね」
'14年からは、途上国の女性の自立を支援したいとアフリカの少女の養母となった。もともとスウェーデンは海外養子縁組が多く、いずれは自分もと考えていたのだ。
「独身のとき、大勢で飲みに行ってはひと晩でたくさんお金を使っていました。それはそれで楽しかったからよかったんですが。“LiLiCoは毎晩シャンパン飲んでるの?”なんて周りから言われて。私が必死で働いたお金をどう使おうと勝手でしょって当時は思ってたけど、だんだんほかに使えないかなと思うようになったんです」
少女たちとは手紙や動画を送りあって交流している。
「彼女たちからの便りが楽しみなんです。“勉強も大事だけど、いっぱい友達をつくることも大事だよ!”と話したり、日本のことも紹介します。彼女たちの世界が広がったらいいなと。自分の職業などは明かさないでやってます。そういうときはみんなのイメージのLiLiCoでなくていい瞬間です。だって私は私なので。別に野獣とか肉食系とか自分で考えたんじゃないですもん(笑)」
周りに気を遣いすぎて疲れていた35歳のときに初めて見たスウェーデン映画『歓びを歌にのせて』は、生涯ナンバーワン映画で何度も見返しているという。「私は自分の人生を生きた」と最期のときに思えるように、「今」を生きる大切さを教えられた。
「人はずっとは生きられなくて、いつかはお墓に入るわけだから、映画『デスノート』のリュークみたいな死神にトントンと肩をたたかれたとき、“やり残した~”と後悔するより、“あれやっといてよかった~!!”って万歳したまま、2メートル50センチぐらいの棺桶に入りたいなって(笑)。
ここまでくるのに、ちょっと行きすぎるくらいにいろんな経験をして、そこまでする必要はなかったかもしれないんですけど、すべてが自分の肥やしになっていると思っています。いろんな出会いがあって、いろんな人に助けてもらって、今の私があるので」
実現させたい夢は尽きず、脳内がいつも混雑していると目を輝かせる。原点に立ち返ろうと、最近は「歌」の仕事を視野にボイストレーニングも始めたという。
明るい苦労人、LiLiCo。その素顔は、世話好きで涙もろいアンソフィーだった。つらいときも心のキャンドルを灯して歩んできた彼女の唇から、いま歓びの歌がこぼれる。
取材・文/森きわこ(もりきわこ)ライター。人物取材、ドキュメンタリーを中心に各種メディアで執筆。13年間の専業主婦生活の後、コンサルティング会社などで働く。社会人2人の母。好きな言葉は「やり直しのきく人生」。