地位を捨て独立、次世代の育成へ
出世の階段を上り詰めた小林さんだが、実は、以前から新しい夢を描き始めていた。そのひとつは、プロのメイクアップアーティストを育てる学校を作ること。
「私は、手探りでメイクアップアーティストになりました。その知識や技術、考え方を、後に続く人たちに伝える場所をつくりたい」と。もうひとつは、美容でより多くの人を幸せにすること。
「美容は、美しくなるためだけのものじゃない。自分の美意識を持ち、個性を磨き、なりたい姿に近づくためのものです。それがあれば夢を叶えることもできる。その可能性をもっと追求したかったんです」
組織にとらわれずにそれらの夢を実現するため、1991年、56歳で小林さんはコーセーを退職して「美・ファイン研究所」を設立。さらに1994年「[フロムハンド]メイクアップアカデミー」、2010年に「青山ビューティ学院高等部東京校」、2013年に同・京都校を開校。現在も、そこで次世代を育て、美容文化を広めることに邁進している。
メイクや美容で、人の夢を後押しできる。そう言えるのは、実際に小林さんのもとへ来た人たちが夢を言葉にし、夢を叶えていったからだ。
「例えば『企業でキャリアアップしたい』と言って私のもとに来る。その人はとても愛らしい顔だけれど、夢に近づくためには、より信頼される大人っぽい印象を与えられたほうがいい。それで『こういうメイクを足すといいですよ』と提案すると、愛らしい魅力を生かしながら、その人らしい気品がある顔になる。
私のメイクの理論は、ただ眉を描いてラインを引く、みたいなことだけじゃなくて、その人が何者で何になりたいか、と心にまず触れる。そして、元の印象を分析したうえで、夢に近づけるメイクを考える。結果、自分も周りも幸せになれるから“ハッピーメイク”と名づけたんですよ」
小林さんの後継者も、美容で夢を叶えつつある人たちだ。
ひとりは「美・ファイン研究所」を一緒に立ち上げ、今は代表を務めている娘のひろ美さん。わかりやすく実践しやすい美容法の提案が人気で、多くのメディアで活躍中の美容研究家だ。
「小学校のころから、歯磨きを教えてもらうかのように、スキンケアの基本を教えられました。でも若いころは日焼けブームにのって、肌はぼろぼろに。母にあきれられていました」(ひろ美さん)
海外留学を経てバイヤーやコーディネーターの仕事をしていた彼女は、「美・ファイン研究所」の立ち上げ当初は、母の裏方でいいと考えていた。美容の世界では母に及ばない、という気持ちもあったそうだ。しかし、大学時代の友人と温泉旅行に行った際、母から教えられたスキンケアをアドバイスしてあげたことで、自分の夢に開眼する。
「みんなから『そういうことが知りたかったのよ』ってすごく感謝されたことがうれしくて。そうか、私にできることはこれだ、と目の前の霧が晴れたようでした」(ひろ美さん)
母がプロ向けだとすれば、自分は一般の人に美容を提案していこう、と決めた。
「人が喜んでくれるのがうれしいのは母譲りです。でも、自分らしい道も見つかった。それ以来、仕事への取り組み方が変わりましたね」(ひろ美さん)
もうひとりは、[フロムハンド]メイクアップアカデミーの卒業生で、「青山ビューティ学院高等部」の立ち上げに参画した関野里美さん。27歳で副校長に就任、2018年からは学長を務める33歳だ。
「美容に特化した高校を作る、と言ったとき、大賛成してくれたのが彼女。カリキュラム作りから学生の募集、広報と、全部やるってくらい張り切ってくれた。それで抜擢しました」(小林さん)