福山に帰ったが、最終学歴は中卒だ。履歴書を書くのが恥ずかしくて、そのとき初めて、「高校ぐらい行っておけばよかった」と後悔した。
しかたなく「奨励会三段」と書いた履歴書を手に仕事を探すと、子どものころ『将棋大観』を書き写した近所の書店がアルバイトとして雇ってくれた。
就職後、半年で20キロも痩せた
その後、大学入学資格検定(現・高等学校卒業程度認定試験)を受けて合格。通信制の短期大学に入学した。
新しい生活をスタートし、将棋とはもう縁を切ろうと思っていた。
そんな今泉さんを引き戻したのは、福山で将棋道場を営む竹内茂仁さんだ。講師として将棋を教えてほしいと頼まれたのだ。
「竹内さんに、“今までの経験を生かして前に進んでいきましょう”と言っていただいて、自分の価値を認めてもらえたと思ったんですよ。人って、やっぱり居場所を求めている。自分の価値は何かと求めて生きていると思うんです」
将棋への意欲が再燃すると真剣勝負がしたくなったが、元奨励会員の有段者は一定期間、アマチュアの大会に出場できない規定がある。
今泉さんが練習できるよう、竹内さんは当時できたばかりのインターネット道場「将棋倶楽部24」にも参加できるようにしてくれた。
アマチュアの大会に出始めると、「アマタイトルを独占してやる!」と火がつく。全国アマ将棋レーティング大会で優勝するなど、いくつもの大会で好成績を収めた。
大会で知り合った元奨励会員の紹介で、28歳のとき大手レストランチェーンに就職が決まり、短大はやめた。
'02年2月、配属されたのは広島市にあるパスタ専門店の厨房。もちろん、それまで包丁を握ったことはない。
「不器用な僕に、そこでの仕事はツラかったっすね」
顔をしかめてそう言うと、両手の指を見せてくれた。切り傷の跡がうっすらと何本も残っている。
「“将棋の強いヤツは仕事もできる”と雇ってくれたけど、仕事ができたのは紹介してくれた人だけやから、というオチが待っていた(笑)。当時75キロだった体重が半年で20キロ減りました。ツラい日々が積み重なっていくと、頭の中は後悔ばっかり。“何で俺は奨励会でちゃんとやらなかったんだ”と……」
前出の棋士仲間の菅井さんが今泉さんに初めて会ったのはこのころだ。当時、菅井さんは小学5年生。岡山県に住んでおり、隣県の今泉さんに将棋を教えてもらったり、ご飯を食べに連れて行ってもらったそうだ。
「今泉さんはアマチュアの全国トップで憧れの存在でしたが、口数も少なくて、とにかく厳しくて怖い人でした。すぐカーッとなるタイプで、けっこうイライラしてましたね。海鮮丼を食べに行ったとき、丼にご飯をひと粒残したら、ものすごく怒られて、“ヒエー、コワー”と(笑)」
'05年7月。今泉さんは3年半勤めたレストランチェーンを突然、辞めてしまう。
実は、その5か月前のこと。アマチュアの瀬川晶司さんが、日本将棋連盟にプロ編入を求める嘆願書を提出したのだ。瀬川さんは今泉さんと同じく、奨励会を年齢制限で退会していた。その後、サラリーマンとして働きながらアマチュアの大会に出場。一定の成績を挙げると出場できるプロの公式戦で17勝6敗と驚異的な成績を挙げていた。
「俺も、もう1度プロ棋士になれる! と。でも、まだ編入試験の制度ができていない時期に衝動的に辞めたので、ムチャクチャやね。見切り発車にもほどがある(笑)」