ではなぜ、彼ら“二世”には「イケメン」や「美人」などといった、批判されるのが容易に想像できる形容詞が用いられ続けるのか。

 芸能ジャーナリストの佐々木博之氏は「そもそも、事件でも容疑者や被害者にかかわらず“美人○○”などと修飾したがるのが日本のマスコミ」と、現状を明かす。

「写真誌でも芸能人の熱愛をスクープしたとき、相手が一般人の場合は“○○似の美人”と似ている芸能人の名前を用いて報じますね。想像しやすくするのと同時に、読み手を少しでも引きつけたい面があります。

 まず誌面などで“イケメン○○”“美人○○”と見出しをつける、これがウェブ版となると重ねて“イケメン?  美人?”と賛否がわいて、また読まれるわけです。“炎上狙い”までとはいかずとも、読者を増やすための計算された手法になっていると思います」

二世にはまだ形容できる言葉がない

 また、大物の二世でありながらデビューまもない彼らだからこそ、こう形容するしかないのだとも。

「すでに売れている、実績のある俳優に対して“イケメン”や“美人”とは使いませんよね。しかし、彼らはまだ代表作や実績があるわけではなく、“海の物とも山の物”ともつかない新人です。他に形容する言葉がないのだから、よって修飾する言葉として“イケメン”とつけざるを得ないとも考えられます。

 そしてもうひとつ、大物の二世ということで芸能マスコミの“忖度”という部分もあるのでしょう。今回、共通しているのは“ネタばらし”がやたらと早かったということ」(佐々木氏)

 “ネタばらし”とはすなわち、木村拓哉の娘。三浦知良の、窪塚洋介の息子と“二世”である事をアピールすること。

「宇多田ヒカルさんが代表的ですが、本当に実力があれば自ずと人気は出ますし後から素性がわかることもあります。芸能界に身を置く以上は“自分の力で”“七光は使うな”というきびしい親もいるでしょうが、ほとんどが“大丈夫かな、本当にやっていけるかな”と親としての心配、やさしさが勝ってしまうのでは? 記事で“イケメン”やら“美人”と書いて取り上げてもらえば親としてもうれしいでしょうからね。

 たとえ批判のコメントが向けられたとしても、これから芸能界でやっていこうと考えている二世たち。したたかさというか、メンタルの強さは持ち合わせているように見えますし、スルーできるのだと思います」(佐々木氏)

 騒がれるうちが“華”とは言うけどもーー。