歌姫になるために犠牲にしたもの
終始、楽しそうに話していたが、つらい記憶もあったようで……。
「おばあさんが亡くなった話をするときは、涙を流していました。おばあさんがもう危ないというときに、デビュー曲のレコーディングがあって福岡に帰ることができず、死に目にあえなかったんです。当時のインタビューでも、“私は、おばあちゃんがいたから生きてこられた”と話していました」
貴重な本を世に出すために動く中で、行き詰まってしまったこともあったという。
「この本は浜崎さんの一人称になっています。そのため、彼女が発した言葉が中心になり、そのほかは調べたことや私が想像したものです。私が彼女の心を書ききってしまっていいのかと思うようになりました。そんな思いから、2日間、福岡に失踪したことも(笑)。
でも、浜崎さんの地元である福岡で以前住んでいたところやゆかりのある場所を回って、彼女のルーツがわかりました。気持ちを切り替えることができましたし、地元に足を運んだからこそ書けることもありました」
取材を重ねるうちに、彼女たちにこんな思いを持つようになった。
「本だと長く感じるかもしれませんが、ふたりが付き合っていたのは2年間でした。一緒に暮らしたり、幸せに過ごせたのはほんの短い時間だったんです。今のまま、当時まで時間が戻れば、スマートフォンなどもあるので、ふたりの気持ちがすれ違うこともなかったかもしれません。
同時に、ふたりともプロに徹し、別れを決める精神を垣間見て、尊敬の思いが深まりました。浜崎さんが平成の歌姫になるまでにはいろいろな犠牲や悲しいことがあったと知り、崇高な気持ちになりましたね」