少女時代の夢は小説家
注目されたりする現状には「調子に乗っている」と語る。
「本を出して、取材をしてもらってアゲアゲの状態だからこそ危ないと思うんです。私は仏教に救われ、その教えを伝えるのが役目なのに、私自身が脚光を浴びてしまってはボタンの掛け違い。だからこそ、ふんどしを締め直して、仏教の教えに耳を傾けていかないと。
今回の本が、仏教に興味のない人にも英月が出会った救いって何だろう、法話って何? と思ってもらえる入り口になったらいいなと思います」
気づいたら、お坊さんになっていたという英月さんの少女時代は読書が好きで、小説家を夢見ていた。
「高校時代には、国語の先生から文学賞に応募するように言われましたが、言葉を遊んで上っ面を書いているだけ。人生を知らない、と世に出る前に筆を折りました(笑)」
独身、気になる結婚については?
「シャットアウトはしていません。ご縁があればいつでも。洋の東西、老若も問いません」
ミニ説法 “量ることのない世界”……あてにするというのは、相手を量ることです。自分にとって、いい人、好きな人は自分の尺度や都合で量っている。例えば、信頼していたAさんが何かのきっかけで一生、口をききたくないと思う人に変わる。それは、あてがはずれた、自分の都合どおりにならなかったからです。そう思っていても、Aさんがちょっと助けてくれたら、あの人もいいところがある、と変わる。Aさんは何も変わっていません。自分が相手を量っているだけです。仏教の「阿弥陀」は、サンスクリット語の「a-mita」の音写語です。「a(ア)」は打ち消し(無)、「mita(ミタ)」は「メーター」「メジャー」に通じる言葉で、量るという意味。「アミタ」とは、量ることのない世界。腹を立てたり、悲しんだり、ねたんだりするのは量っているから。人生は一本道にたとえられ、踏みはずすことが不安になったりします。仏教では、自分の都合や思い、計算で進んでいる道から落ちた下にも別の道があり、量らなくていい世界があることを教えてくれています。そういうことを知る、知らないでは、人生の質が違ってくると思います。