7月18日、三浦春馬さんが東京・港区にある自宅において、変わり果てた姿で発見された。人気俳優の突然の訃報は、人々に深い悲しみをもたらした。関係者や熱烈なファンの嘆きは計り知れないが、これまでは特にファンではなかったのに激しく動揺し、約2週間が経った今もなお、つらい気持ちを抱いている人も多い。

『共感性』が働きすぎてつらくなる

 その理由として、彼が好感度の高い芸能人であったことはもちろん、死因が“自殺”と報じられたことも影響しているのではないか。近年さまざまな分野で活躍し、広く愛され、周囲への気配りもできる人物だったというイメージの三浦さんが“突然、自ら命を絶った“ということへの驚きは大きく、事故や病気などによる訃報以上に受け入れがたい一面があるだろう。実際、SNS上でも「今回の“春馬ショック”から立ち直れない」と吐露する人が続出した。

《本当にショックで、ずっと落ち込んでいます》

《特に好きってわけじゃないけど、自分でも驚くほどショックが大きい。私も正直死にたいって思ってしまっている》

《あんなに才能に溢れた人がなぜ自殺したかったのか分からない。彼ほどの人間が死ぬなら自分が生きてていい理由があるのかと考えてしまう》

《ショックな訃報から1週間。ファンではないけど同い年ってこともあって、未だにネットで名前を見るたびにつらくなる》

 なぜ我々は、こんなにもつらい気持ちを抱え続けてしまうのだろうか? 

 自殺予防の心理カウンセリングを行う公認心理師・臨床心理士の藤井靖氏に話を聞くと、三浦さんに限らず自分が“よく知る人”の死によってショックを受けることは「自然な反応」だと話す。

「そもそも、知っている人が亡くなることは、人間が人生の中で受けるストレスのなかで、もっとも強いインパクトを持っています。ショックを受けて悲しんで、一度、思考を停止することにより、自分の心が混乱しすぎて壊れるのを防いでいるのです。

 しかし、いちばん大きいのは私たちの中にある『共感性』、すなわち、心理的に他人に寄り添おうとする気持ちです。三浦さんの場合でいえば、自ら命を絶った彼の心境・友人や近しい人たちが受けた衝撃・現在制作中だった作品のゆくえなど、有名人ゆえに私たちは本質的な実態を知るよしがないことが多い。だからこそ、想像を膨らませる部分が大きくなり、あたかも自分がその苦しみや悲しみを体験しているがごとく、無意識に気持ちを働かせ過ぎてしまうのです」(藤井靖氏、以下同)