激ヤセと余命宣告
しかし林葉さんはその後、父親の事業の失敗による多額の借金を負わされて御実家に戻り、自己破産をする。そして、長年の多量の飲酒によって肝硬変を患ってしまう。
一時期は腹水も溜まって「余命数か月」ともいわれていたほどで、ここらあたりは御本人がどれほど明るく気高く振る舞おうと、世間の人はみな「可哀想」「お気の毒」と見てしまうしかなかった。
それからしばらく消息を聞かなくなっていたら、かなり面変わりした様子で久しぶりにテレビに登場し、スキャンダルとは違う方向からみなさん久しぶりにざわついた。御病気のせいで、かなり痩せておられたのだ。
林葉さんは元がとても美人だったから、面やつれが目立ってしまうのだ。元が平凡な顔立ちなら、痩せましたね、普通の加齢ですね、ですむのに。
容姿に限らず、人生全般にわたってそのような際立つ落差と目立たない落差はある。世間はスターやエリート、金持ちの波瀾万丈ぶりと大きな落差を見せる物語は大好きだ。
私も正直、テレビで久しぶりに見て、ずいぶん苦労して荒んだ生活をして、こんなやつれてしまったんだな、お気の毒に、と同情する気持ちになってしまっていた。
とはいうものの、相変わらず私と林葉さんには共通の知り合いが何人かいるというくらいで、直接的なつながりはなかった。
なのに時折、ふっと、何かの拍子に林葉さんの話題にはなった。そこにあるのは必ずや、もったいない、惜しい、というため息だった。
その間、私は本来の作家業に加え、ひょんなことからヒョウの着ぐるみで下ネタばかりいう下品なオバサンとして世間に定着することになり、林葉さんとは違う迷走をしていた。
そして、こちらはかなり長い付き合いである『週刊女性』の編集者Yさんが、林葉直子さんについて書きませんかといってきたのだ。
意外な、意表を突く、といいたいが、ああ、ついに来た、長くかかったなぁと腕組みした。やっぱり私は、いつか会いたい、会えるかもしれない、ではなく、会えるものだとどこかで予定を組んでいたのだ。
私が先手を打った、私が何手も先を読めたのではない。それをしたのはやはり、向かいに座る林葉さんなのだった。私は誘導されただけだ。気持ちいい負けのほうに。
勝負にならん以前に、圧倒的な強敵にあしらわれ負かされるって、ただ気持ちいいことじゃないか。負けたことすら、あの人と対峙したという自慢や武勇伝になる。
そして、ついに林葉さんに直接お会いするために現在お住まいの福岡県に、編集Yさんとカメラマンさんと行くことになった。Yさんはばっちり、鳥の被り物も準備できている。