壮絶ないじめ体験が原動力に
そもそも、なぜ子どもに法律を教えることが、いじめの問題を解決する糸口になると考えたのか。実際にどんな有効性があるのか。
純粋なまでに「いじめのない世の中にしたい」という、山崎の理念は、どのような思いから生まれたのだろうか─。
「いじめがいちばんひどかったのは、5年生のときです」
山崎が自らのいじめの体験を話してくれた。
「あれは、2学期のほとんど終わりくらいのころかな。僕は、2年生のときから仲がよかった、自閉症の友達がいたんです。そいつは、カッとなると自分の行動をコントロールできない子で、クラスの中でずっといじめの標的になっていて。彼を助けたことから、僕も標的になった。毎日のように殴られ、蹴られて、学校に行くのは厳しかったですね」
暴力が常態化し、骨折したのは、6年生の終わりだった。
「あれはたまたま打ちどころが悪かったというか。下校時に普通に後ろから蹴られて、道路沿いの田んぼに突き落とされる形で、手をついて骨折したんです」
普通に、とはどういう意味か聞くと、
「殴られたり蹴られたりするのが日常茶飯事で、整形外科には年中、お世話になっていました」
その体験は大人になっても決して忘れられない、自らの人格形成のうえでも深い傷になっていると話す。
1993年、山崎は東京都杉並区にて、2人兄弟の長男として生まれる。父は、大手自動車メーカーの技術者というエリート。母は、専業主婦のサラリーマン家庭に育った。
5歳のときに父親の転勤で埼玉県さいたま市に移る。いじめにあったのは、そこの公立小学校でのことだった。
「今でいう学級崩壊状態で、テスト中にも歩きまわる子がいて、テスト用紙を破られたこともありました。あまりにも荒れているので、5年生の途中から担任がかわって教務主任の先生が来ても、おさまらなかったですね」
そんな中で、いじめられている友達を助けたということは、正義感の強い子どもだったのだろうか?
「筋が通っていないこと、おかしいと思うことをそのまま流したくない。大人から見れば面倒くせぇ子どもだったと思います(笑)」
それだけに問題意識が高く、「9歳のときからずっと選挙権がほしくて、早く投票したいと思っていたし、僕が総理大臣になればうまくいくのにと思っていました」