壮絶ないじめ体験が原動力に

 そもそも、なぜ子どもに法律を教えることが、いじめの問題を解決する糸口になると考えたのか。実際にどんな有効性があるのか。

 純粋なまでに「いじめのない世の中にしたい」という、山崎の理念は、どのような思いから生まれたのだろうか─。

いじめがいちばんひどかったのは、5年生のときです」

2020年8月、千葉市で行われた講演は、コロナ対策を行ったうえで実施された。日本全国で教育関係の講演会に招かれ、多いときは1か月に8回も自らの体験や法律、いじめについての話をしてきた 撮影/齋藤周造
2020年8月、千葉市で行われた講演は、コロナ対策を行ったうえで実施された。日本全国で教育関係の講演会に招かれ、多いときは1か月に8回も自らの体験や法律、いじめについての話をしてきた 撮影/齋藤周造
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 山崎が自らのいじめの体験を話してくれた。

「あれは、2学期のほとんど終わりくらいのころかな。僕は、2年生のときから仲がよかった、自閉症の友達がいたんです。そいつは、カッとなると自分の行動をコントロールできない子で、クラスの中でずっといじめの標的になっていて。彼を助けたことから、僕も標的になった。毎日のように殴られ、蹴られて、学校に行くのは厳しかったですね」

 暴力が常態化し、骨折したのは、6年生の終わりだった。

「あれはたまたま打ちどころが悪かったというか。下校時に普通に後ろから蹴られて、道路沿いの田んぼに突き落とされる形で、手をついて骨折したんです」

 普通に、とはどういう意味か聞くと、

「殴られたり蹴られたりするのが日常茶飯事で、整形外科には年中、お世話になっていました」

 その体験は大人になっても決して忘れられない、自らの人格形成のうえでも深い傷になっていると話す。

 1993年、山崎は東京都杉並区にて、2人兄弟の長男として生まれる。父は、大手自動車メーカーの技術者というエリート。母は、専業主婦のサラリーマン家庭に育った。

 5歳のときに父親の転勤で埼玉県さいたま市に移る。いじめにあったのは、そこの公立小学校でのことだった。

「今でいう学級崩壊状態で、テスト中にも歩きまわる子がいて、テスト用紙を破られたこともありました。あまりにも荒れているので、5年生の途中から担任がかわって教務主任の先生が来ても、おさまらなかったですね」

 そんな中で、いじめられている友達を助けたということは、正義感の強い子どもだったのだろうか?

「筋が通っていないこと、おかしいと思うことをそのまま流したくない。大人から見れば面倒くせぇ子どもだったと思います(笑)」

 それだけに問題意識が高く、「9歳のときからずっと選挙権がほしくて、早く投票したいと思っていたし、僕が総理大臣になればうまくいくのにと思っていました」