私自身、生きるのが楽になった
今は家族でテレビに出演したり、積極的に取材を受けている。ダウン症児が生まれても不幸ではないと知ってもらいたいからだ。誹謗中傷する声はないのかと聞くと、あっさり認めた。
「あなたの仕事の仕方はどうなの? と、私への批判はありましたよ。子どもを使ってテレビに出ているとか。
でも、いいんです。何と言われても。私がこの子の個性を世の中にどんどんお知らせすることで、この子が少しでも生きやすくなれば、御の字なので」
「強いですね」
筆者が思わず口にすると、笑ったまま否定した。
「全然、強くないですよ。大した人間じゃないと、心から思っていて。料理もいまだに下手で、ワンプレートでドーンだし。こんなんで、よく子どもが高3まで育ったなと思う(笑)。
でも、そんな自分も好きなんです。美良生のおかげで、自分のダメなところも受け入れられたんです」
そう思えた裏には、美良生君のゆっくりした成長スピードがある。子どもを育てていると、ついほかの子と比べて「うちの子は何でできないのか」と悩んだりするが、美良生君の場合、違いがありすぎて比べようがなかったと佳恵さんは言う。
「比較しても誰も幸せにならないと、この子がわが家にやってきたことでわかりました。あなたはあなたのままでいい。そう思えたら、私自身、生きるのが楽になったんです。私も自分らしく、私のできることをやればいいんだと」
今の快活さからは意外だが、幼いころの佳恵さんはおとなしかったと、母親の奥山悦美さん(68)は振り返る。
「本当にどんくさくて、何でもとろくて遅いの(笑)。幼稚園で滑り台に並んでいて“どいて”と言われれば、どいちゃうし。おとなしくて目立たない子だったんですよ」
佳恵さんは'74年3月に東京都目黒区で生まれた。4人きょうだいの長女で、年子の妹、8歳下と16歳下の弟がいる。両親は父方の祖父母と一緒に近くで中国料理店を経営しており、同居する悦美さんの母が孫の面倒を見ていた。
子どもたちが寝るとき両親は店にいて、朝、登校するときはまだ寝ている。店は盆と正月以外休まなかったので、普段は顔も合わせない。夏休みの家族旅行が年に1度の大イベントだった。
悦美さんは1か月前から旅の準備を開始。行程、車の席順、近況報告入りのメンバー紹介を載せたしおりを用意し、DJ風に各自のリクエスト曲を紹介するオリジナルテープを作り車内で流す。父は旅行の間ずっとビデオを回し、帰宅後に1本に編集した。
いつも一緒にいられない分、できることは何でもやろうとしていた親の気持ちを、佳恵さんも理解していた。
「極端ですけど、ちゃんと親とつながっていると感じたので、寂しいと思ったことがないんですよ。私は長女なので奥山家を盛り上げる役を率先してやっていました。遊園地に行けば、わざとウケそうな乗り物に乗ったりして。
おかげで、ほかの人の様子を見ながら発言するとか、タレント活動にもちょっとは役に立っている気がするので、長女でよかったかなーと」
ちなみに、自分が親になった後は母をまねて、家族旅行の前にしおりを作っている。